多賀城跡2013年09月07日

多賀城は、724 年(奈良時代)に大野東人によって築城された城です。
100 名城の中でも4番目に古い城郭で、行政の拠点でもありました。 防御に重点を置いた戦国自体の城とは少し異なるかも知れません。

多賀城市埋蔵文化財調査センターを見学、100 名城のスタンプを押した後に城郭跡に向かいます。

多賀城廃寺跡
多賀城跡に行く途中にあったので立ち寄りました。 駐車スペースは数台程度分しかありませんので注意が必要です。 この寺院は多賀城と共に建てられたそうです。 三重塔、金堂、講堂を備える、それなりの規模の寺院だったようですが、当時の痕跡はほとんどありません。

東倉跡
多賀城廃寺・東倉跡

講堂跡
多賀城廃寺・講堂跡

塔跡
多賀城廃寺・塔跡

鐘楼跡
多賀城廃寺・鐘楼


多賀城跡
多賀城跡の入り口周辺のパーキングにバイクを止めます。多賀城廃寺跡から歩けなくもありませんが、結構距離があります。

政庁~外郭南門通路
外郭南門跡から政庁跡へ真っ直ぐ伸びるメイン通路です。 政庁跡は小高い丘にあるので、通路は上り坂になっています。
多賀城跡・政庁~外郭南門通路

政庁跡模型
政庁の模型が展示してありました。 第2期 (762 年)頃の再現のようですが、思いのほか質素です。 中央に正殿、その左右に西鐘、東鐘、それぞれの鐘の手前に西脇殿、東脇殿があります。 写真では解りませんが、正殿の後ろには後殿があります。
多賀城跡・政庁跡模型

南門跡
ここを通って正殿に向かいます。 基石の位置しか解りませんが、立派な門だった事が想像できます。
多賀城跡・南門跡

正殿跡
ここに行政の中心となる正殿がありました。 政庁の建物は、780 年の伊治呰麻呂の乱で焼失してしまったそうです。 その後再建されましたが、869 年の大地震でも被害を受け、その後、徐々に荒廃していきます。
多賀城跡・正殿跡

後殿跡
名前のとおり、正殿の後ろにあります。 思いのほか大きな建物だった事が基石の位置から解ります。 どんな役割の建物だったのでしょうか...。
多賀城跡・後殿跡

外郭南門跡
この辺りに外郭南門があったようですが、痕跡は見当たりません。 
遠くの方が少し盛り上がって見えますが、土塁の跡でしょうか?
多賀城跡・外郭南門跡

多賀城碑
石碑には、神亀元年(724 年)に大野朝臣東人が多賀城を設置した事、天平宝字六年(762 年)に藤原恵美朝臣朝狩が多賀城を修造した事が記されています。
多賀城跡・多賀城碑


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