山中城跡2013年09月22日

山中城は北条氏によって築城された小田原城の支城の一つです。
1558~70年頃に北条氏康によって築城されました。
1590年に豊臣秀次の軍勢によってわずか半日で落城し、そのまま廃城となりました。 4千対7万の圧倒的な戦力差による力攻めだったそうです。

箱根旧街道
駐車場から100名城のスタンプが配置されている売店までの間は箱根旧街道でつながっています。 箱根旧街道は約350m に渡って整備されており、その中でも石畳が良く残っていた60m の区間は当時の石を元の位置に戻して復元したそうです。
箱根旧街道

箱根旧街道

三の丸堀
堀の長さは約180m 、最大幅約30m、深さ約8m と、結構な大きさです。
東側の部分は田尻の池からの排水を処理する水路として機能し、西側は空堀として機能していたそうです。
山中城・三の丸堀

田尻の池
西側は馬舎と伝えられており、馬の飲料水等に用いられたと推測されいます。
山中城・田尻の池

元西櫓下の堀
山中城では石垣は見当たりません。 この堀も当時はもっと旧な斜面で、ローム層がむき出しになっていたそうです。
山中城・元西櫓下の堀

障子堀
この城の見所は何と言っても西の丸周辺を取り囲む障子堀です。 これほど綺麗なのは初めて見ました。 芝生は遺構の保護用であり、当時は土がむき出しだったそうです。
山中城・西の丸畝堀

山中城・障子堀

山中城・障子堀

山中城・障子堀

溜池跡
西の丸から北の丸に向かう途中にある溜池跡。 案内板が無ければ素通りしそうです。 4m まで発掘したそうですが池底までは達しなかったそうです。
山中城・溜池跡

北の丸跡
建物等はありませんが、結構な規模だったと思われます。 発掘調査により、北の丸と本丸の間には橋が掛けられていた事が判明しています。 現在はその橋が再現されています。
山中城・北の丸跡

山中城・北の丸、本丸の架橋

本丸跡
地図を見ると「天守台」との記載があります。 この城にも天守があったのでしょうか?
山中城・本丸跡

西の丸跡
ここは西側の防御の要となる場所です。 この広場から周囲を囲む障子堀が良く見えます。
山中城・西の丸

山中城・障子堀

御馬場曲輪
箱根旧街道の反対側に移動すると、御馬場曲輪があります。 この曲輪は秀吉の小田原征伐に備えて急遽増築された物です。 脇には出丸御馬場堀があり、堀底から曲輪までの高さは9m にもなります。
山中城・御馬場曲輪

山中城・出丸御馬場堀

すりばち曲輪
出丸の最先端にあるすりばち曲輪です。 名前の通り、すり鉢状をしている特長のある曲輪です。
山中城・すりばち曲輪

出丸と箱根旧街道の間には一の堀が配置されています。 案内板を見ると、この辺りは岱崎出丸と呼ばれているそうで、旧な増築だったので未完成だったそうです。 この出丸では壮絶な戦闘が行われたそうです。
山中城・一の堀

この城の見所は綺麗に保存されている障子堀にあると思います。 また、堀の保全用に芝生が植えてあり、独特の景観を生み出しています。
山中城・架橋