小谷城跡2015年05月05日

滋賀県長浜市湖北町にある戦国時代の山城跡。
浅井家三代の居城として使用され、1516 年、もしくは1525 年頃に築城されたと言われています。
織田信長による攻撃により落城後は羽柴秀吉の領地となりますが、長浜城を築城したため廃城となりました。

とりあえず、「小谷城戦国歴史資料館」にて 100 名城のスタンプを入手。
小谷城戦国歴史資料館

ここから追手道を登って本丸へ向かう事も可能だが、地図を見る限りかなりキツイ登りになる事が想像できます。 番所近くまで登れる林道があるのでそちらへ移動するが、連休中は車両規制で車では登れない事が判明...。
やむなく戦国ガイドステーションでガイド付きシャトルバスのチケットを購入して登る事に...。

番所跡
バスを降りてすぐの場所にある番所跡。
案内が無ければ気づかないくらい何もないですが、ここが小谷城の入り口になります。
小谷城・番所跡


番所跡からしばらく登ると見晴らしの良い場所へ。
奥に見える山が虎御前山、湖の中に見えるのが竹生島。 琵琶湖周辺の山は、湖面に浮かぶ島の様な感じで面白い。 数日、琵琶湖周辺を散策したが、琵琶湖はいつも霞んでいた。
小谷城・虎御前山・竹生島

小谷城・竹生島

御茶屋跡
ここも案内が無ければ何だかわからないが、ここは主要部分の先端にあたる曲輪で、小規模な御殿や庭園があったとされる場所です。
小谷城・御茶屋跡

馬洗い池
先ほどのお茶屋跡の一段上にある馬荒い池。 この辺りには御馬屋や桜馬場などがありました。
小谷城・馬洗い池

首据石
討ち取った敵将の首を晒したといわれる石です。
京極氏の家臣、今井秀信の首を晒したと伝えられています。
小谷城・首据石

桜馬場跡
この辺りは桜馬場があったとされる場所です。 桜馬場は、黒金門の手前にあった曲輪です。 曲輪の先端からは信長の本陣があったとされる虎御前山が良く見えます。
小谷城・桜馬場

黒金門跡
やっとはっきりした遺構が見れた感じです。 この門をくぐった先が、大広間、本丸になります。
小谷城・黒金門跡

大広間跡
この辺りが大広間があったとされる場所になります。 奥に本丸の石垣が少し見えます。 広さは長さ85m、幅35m あり、小谷城内では最大の曲輪になります。 井戸や蔵などの跡が確認されているそうです。
小谷城・大広間跡

小谷城・大広間跡

本丸跡
本丸を囲む石垣です。 今回の場合、ガイド付きの案内だったので、ここが一番最深部になります。 石垣はそれなりに残ってましたが、全体的に見て解るような遺構は少ない印象を受けました。
小谷城・本丸の石垣

小谷城・本丸の石垣

小谷城・本丸跡

本丸の奥まで行くと、かなり落差のある大堀切が見えます。 この先に中丸、京極丸がありますが、ガイドツアーなので今回はここまでしか行けませんでした。
小谷城・大堀切

ガイドツアーなので仕方が無い事ではありますが、ゆっくり写真を撮る余裕がなかったです。 できれば現地解散にしてほしかったですね... 下りは歩いても何とかなるので...。 下はガイドツアーの様子です。 けっこう、大人数で周ります。
小谷城・ガイドの様子

連休中は林道への車の乗り入れが規制されている場合があるのでご注意を。