福島県 二本松城2016年05月05日

福島県二本松市にある城跡で日本100名城の一つです。
畠山氏が 1414 年にこの地に築城したのが始まりになります。 (1441 ~ 1443 年の説もあるようです..。)
戦国時代になると伊達正宗の攻撃を受け、当時の当主・二本松義継は降伏するふりをして正宗の父輝宗を拉致しますが、父親ごと射殺された事は有名な話です。 一度は正宗の猛攻に耐えましたが2度目は開城する事になります。

早朝に到着。 駐車場は思ったよりも広かったのでバイクを停める場所には苦労しませんでしたが、桜の名所でもあるので時期や時間によっては苦労するかも知れません。 駐車場横の藤を見てから散策を開始します。
二本松城・藤

箕輪門
城主がかなり入れ変わってますが、1643 年に丹羽光重が入封した時に作られた門です。 現在の門は昭和57年に復元された物です。
二本松城・箕輪門

二本松城・箕輪門

三の丸
写真の奥にある低い場所が三の丸の下段で、手前の少し高い場所が上段です。 三の丸はかなり広かった事がわかります。
三の丸には丹羽氏の居住空間である御殿建てられてました。 排水溝の跡などが見つかっており、排水処理に考慮されていたようです。
残念ながら建物は戊辰戦争で焼失しています。 
二本松城・三の丸

藩士自刃の地
二本松城は戊辰戦争の時に激戦が繰り広げられました。 337名以上の犠牲者を出して落城、主戦論者だった丹羽一学、服部久左衛門、丹羽新十郎は責任と取って自刃しました。
二本松城・藩士自刃の地

城内路
ただの山道の様に見えますが、松森館と新城館との連絡路です。
畠山氏の時代から使用されていた可能性があるようです。
二本松城・城内路

日影の井戸
畠山氏が築城した頃からあるようです。
深さは 16m あり、井戸底から北へ 14m ほど掘られているそうです。
二本松城・日影の井戸

本丸下の大石垣
ここまで長いこと坂道を登ってきて、ようやく本丸の石垣が見えてきました。
一番手前に小さな石を敷き詰めた場所がありますが、これも当時の石垣でしょか? 案内にある「大石垣の穴太積」は左側の野面積の部分の事でしょうか? 一番上の本丸の石垣と比べると、積み方が古いようです。
二本松城・本丸

本丸
綺麗な打込ハギで積まれています。
平成5年に学術調査を開始し、その調査結果に基づいて修復工事を行い、平成7年に完了しました。
二本松城・本丸

升形虎口を通って本丸に入ります。
本丸の石垣は丹羽光重の時に築かれたようです。 たぶん、ここにも大きな城門があったのだと思います。
二本松城・本丸

二本松城・本丸

今は何も無い本丸ですが、それなりの広さがあるので、当時はいろいろな建物があったのだと思います。
二本松城・本丸

天守台の脇には丹羽和左衛門と安部井又之丞の自刃の碑がありました。
和左衛門は切腹する際、軍扇を膝の上に広げ、内臓を軍扇の上に引きずり出したそうです...。
二本松城・自刃の碑

天守台
丹羽光重が三重の天守を築いたとされますが、それを裏付ける資料は見つかっていないそうです。 戊辰戦争の目撃者が無いのであれば、天守があったとしても、その時までに焼失していたのかも知れません。
二本松城・天守台

天守からの眺めです。 方角的には安達太郎山の方だと思いますが、地理的に詳しくないので間違っているかも知れません。
二本松城・天守台からの眺め

東櫓と西櫓も土台のみしか残ってません。 ただ、土台の広さから見てそれほど大きな物では無かったのかも知れまません。
二本松城・東櫓台

二本松城・西櫓台

苦労して本丸まで登ってきましたが、本丸近くの乙森の駐車場まで車で登る事ができます。 本丸が目的の場合はこちらの方が便利だと思います。
二本松城・乙森駐車場

浄心亭
本丸から駐車場の側まで下りてきました。 次の目的地へ移動する前に浄心亭を少し見てみます。
前身は城内に建てられた茶室「墨絵の御茶屋」だったそうで、崖崩れによって別の場所に移築されていました。 明治40年に本来の場所である現在の位置に再移築されたそうです。
二本松城・浄心亭

最期に二本松市歴史資料館によってスタンプを押しました。
ここは駐車場が数台分しか無いので、駐車するのに苦労するかも知れません。 (それほど混雑しないとは思いますが...。)