福島県 立木観音2016年05月06日

金塔山恵隆寺、立木観音堂の方が正確な呼び名かも知れません。
高さ 8.5 m の一木彫で作られた十一面千手観音が本尊で床下には根もあるそうです。 この大きな仏像を近くで見ると非常に迫力があります。 観音像が作られたのは 808 年と伝えられているので、寺自体はその頃から存在するようです。

仁王門
大きな提灯が印象的です。 1611 年の会津大地震で被害を受けた後、1614 年に再建された建物です。 門の左右には金剛力士像が安置されています。
立木観音堂・仁王門

手水舎
享保18年(1733 年)以前に掘られた井戸が水源のようで、現在でも飲む事ができます。 石鉢の石は和泉集落にあった「狐を集めた石」と呼ばれている物をここまで運んだ物と伝えられています。
立木観音堂・手水舎

観音堂
1190 年に建立され、1617 年に大規模な改修が行われているようです。
観音像には根もあるとの事なので、観音像を囲むように建てられたのでしょうか? (そもそも、8.5m もある1木の仏像を後から入れるのは無理?)
立木観音堂・観音堂

三仏堂
詳しい由来等は不明ですが、阿弥陀如来像が安置されています。
立木観音堂・三仏堂

小金塔(こきんとう)
発掘調査によって小金塔の4つの礎石が見つかった事により、その礎石を四隅に配して 2000 年に再建されました。
立木観音堂・小金塔

近くには旧五十嵐家住宅が公開されているのでそちらも見学します。
とは言え、土産やのおばちゃん達と談笑していたら閉館時間の4時になってしまったので、急いで写真だけ取りました。
ちなみに、土産やの栗饅頭はうまかったです...。
旧五十嵐家住宅
旧五十嵐家住宅
この建物は、昭和30年頃までは住居として、その後は物置として使用されていました。 移築復元した時に「享保十四年」の墨書が見つかった事から、築年代はその頃(1729年)と推測されます。 現在は県指定の重要文化財として保存・公開されています。
旧五十嵐家住宅
観音堂を拝観した時に、「だきつき柱」に抱き着いてくるのを忘れました...。
「だきつき柱」に抱き着いて願いをすると願いが叶うとされています。
ただ、ここの観音様は「ころり観音」とも呼ばれており、高齢者が極楽往生を願うと「ころり」と行けるとも伝えられています。 まだ「ころり」と行ってもこまるしなぁ...。


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