福島県 日新館2016年05月06日

日新館は会津の藩校で、1798 年に家老田中玄宰により計画され、1803 年に商人須田新九郎の寄付により完成しました。
実物の日新館は戊辰戦争の時に焼失してしまいましたが、昭和62年に当時の図面などを参考に復元されたのがこの施設になります。

南門
ここが入口ですが、当時この門は上級武士にしか通る事を許されてませんでした。 生徒たちは横にある東門、西門を使っていたそうです。
日新館・南門

西武学寮
名前から学生寮かと思いましたが、剣術や槍術の練習場として使用されてました。 恐ろしく長い長屋です。
日新館・西武学寮

戟門(げきもん)
施設の中心部への通り道に配置されている門です。 「戟」という武器を持った見張りがいた事から戟問とよばれたそうです。
日新館・戟門

大成殿
儒教の祖である孔子を祀っている建物です。 当時の藩校には、大抵、何等かの孔子を祀る施設があります。
日新館・大成殿

日新館・大成殿

大学
500 石以上の長男や、成績が優秀な生徒が選ばれて入学する事が出来ました。 自主的な研究や討論が学習の中心に置かれていたそうです。
「500 石以上の長男」の部分に、当時の階級社会を強く感じられます。
日新館・大学

日新館・大学

水練場
日新館には日本初のプールがあったと言われてます。
ここでは甲冑を付けて泳ぐ訓練などが行われてました。 水練場があった藩校は、ここと長州藩の明倫館だけとの事です。
日新館・水練場

武講
兵学を研究する場所でした。
日新館・武講

日新館・武講

日新館・武講

天文台
天球儀などを置いて天体観測を行っていました。 ここでの観測結果に基づいて暦を作っていました。 天文台がある藩校は、ここと、水戸藩の弘道館、薩摩藩の造士館だけだそうです。
実は、天文台跡は戊辰戦争の後も残っており、鶴ヶ城近くの住宅街の中にあります。 (元の日新館があった場所は、その辺りと言う事になります。)
日新館・天文台

砲術場
小銃から大砲までの訓練が行われました。 山本覚馬もここで学んだり教えたりしたのでしょうか?
日新館・砲術場

連休の谷間だったせいか、人はまばらで少し寂しい感じがしましたが、大きな施設でした。 予約をすれば、いろんな体験もできるようです。
日新館


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