愛知県 岡崎城2017年03月19日

岡崎城は、15世紀中半頃、西郷氏が築城したのが始まりとされています。
その後、岡崎松平家に支配が移りますが、松平宗家と対立、1531年に徳川家康の祖父である松平清家に敗れます。
徳川家康は、1542年にこの岡崎城で生まれます。
岡崎城は今川家の支配に移りますが、桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にすると、松平元康(のちの徳川家康)が奪還します。 徳川家康の天下統一はここから始まったと言えます。

駐車場への入り方が少しわかりにくかったですが、なんとか到着。
現在はバイクの駐車は無料でした。 広さも十分かと思います。
岡崎城駐車場

東隅櫓
駐車場から最初に目に入るのがこの東隅櫓です。
絵図を参考にしてますが、図面が残って無かったので、松山城の野原櫓などを参考に 2010年に木造で再建されました。
内部も見学できたようですが、バス用駐車場の片隅にある櫓に似せた普通の建物かと思ったので近くに行きませんでした。 残念。
岡崎城・東隅櫓

どこまで当時の面影を残しているのか不明ですが、駐車場からはこの切通しを通って岡崎城へ向かいます。
岡崎城・切通し

浄瑠璃姫の墓
義経と恋に落ちた浄瑠璃姫は、義経と別れたあと川へ身投げしてしまう話ですが、岡崎には浄瑠璃姫に関わる場所が多数存在するようです。
ここもその一つだと思いますが、年代的にも岡崎城とは直接関係は無いと思いますが....。 ただ、浄瑠璃姫と関わりのある地を巡ってみるのも面白いかも知れません。
岡崎城・浄瑠璃姫の墓

大手門
明治6年の廃城令によって、岡崎城の建物もほとんどが撤去されてしまいました。 この大手門は 1993年に再建された物です。 本来の大手門は北東約 200m ほどの場所だったようです。
岡崎城・大手門

岡崎城・大手門

大手門から公園に入って目に入ってきたのがこのインパクトのある公衆電話。 屋根が天守になってます!
岡崎城・公衆電話

天守の方へ向かうと途中に空堀が見えてきました。
多少、埋まっているかも知れませんが、結構、落差があります。
岡崎城は公園化されており、移築された建物以外はほとんど当時の物が残ってません。 当時の面影を残す貴重な遺構の一つかと思います。
岡崎城・堀

岡崎城・堀

こちらは天守周辺の堀。 ちょっと埋まっている感じがします。 奥に見える石垣の先は水堀なのですが、ここだけ空堀だったのでしょうか?
岡崎城・堀

天守へ通じる石橋を挟んで反対側の堀の様子。 龍城堀と呼ばれる水堀が見えます。 先ほどの場所だけ空堀と言うのも、ちょっと違和感を感じますね...。 位置関係を考えずに撮った写真ですが、ちょっと見える建物は多分、巽閣だと思います。
岡崎城・堀

ちょっと寄り道して神橋の方へ行って見ます。 こうしてみると、堀から本丸までは、結構、高低差がある事がわかります。
堀には大きな鯉が沢山泳いでますね...。餌をもらっているのか、橋の周辺に多いように思います。
岡崎城・神橋へ

岡崎城・神橋

龍城神社(たつきじんじゃ)
岡崎城天守に徳川家康を祀ったのが始まりのようです。 要するに、全国にある東照宮の一つみたいです。
その後、東照宮は三の丸に移され、本丸には本多忠勝を祀る映世神社が創建されました。 明治に入り、東照宮と映世神社を合祀してできたのが龍城神社のようです。 天守横に鎮座してますが、天守と無関係と言う訳では無さそうです。
岡崎城・龍城神社

天守
松の木が邪魔で見えにくいですが、こじんまりとした天守です。
1959年に鉄筋コンクリートで再建されました。 内部は資料館になっています。 岡崎城の天守は解体前の写真が残っていたので、外観的には当時の姿に近いと思えます。
1階入り口で 100名城のスタンプを押します。 これで愛知県の100名城めぐりは完了!
岡崎城・天守

天守最上階から巽閣の方を眺めた風景。
岡崎城・天守からの眺め

えな塚
天守の裏側に回ります。
家康はこの城で生まれました。 その時のえな(包衣、要するに胎盤)を埋めた塚です。 本来の場所は本丸南だったようです。
岡崎城・えな塚

産湯の井戸
家康生誕ゆかりの物2つ目。
この井戸の水が家康の産湯として使用されたようです。
岡崎城・産湯の井戸

武田信玄にコテンパにされた時の像がありました。
この時の失敗があったからこそ天下を手中にする事が出来たのだと思います。 失敗によって萎縮するのではなく、戒めとして先に進む家康はやはり偉大ですね..。
岡崎城・家康像

土産に買ってきたオカザえもんBEER。
ご当地キャラでござる。 最初気がつかなかったが、顔が「岡」の字なのね...。
オカザえもんBEER