福井県 一乗谷朝倉氏遺跡(1) ― 2017年05月05日
一乗谷城は日本100名城の一つで、城下町が発掘・復元されており見学する事ができます。
応仁の乱で西軍についていた朝倉氏は1471年頃、東軍に寝返り一乗谷に拠点を移します。
近くの山に一の丸、二の丸、三の丸、および、千畳敷を備えた一乗谷城があり、本当はそっちが主役なのか知れませんが、散策は結構大変そうなので次の機会にしておきます。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館
丸岡城から一般道を使って一乗谷まで移動しましたが、知らないうち県道を外れていたり、結構、道に迷いましたが何とか到着しました...。
まずはここで情報収集し、100名城のスタンプを押します。
当日は特別展「重要文化財は語る」が行われており、発掘で見つかったと思われる当時の生活用品などが展示されていました。
西山光照寺跡
資料館にあった地図を眺めていると近くに西山光照寺跡がある事を知り、寄り道してみる事にします。
西山光照寺跡は一乗谷駅の反対側に位置しており、駐車場もありますが、資料館から歩けなくもない距離です。 一両編成のローカル線とホームのみの一乗谷駅が渋いです。
何かしらの建物があったと思われる石垣ですが、「南無阿弥陀仏」と彫られた石が使われています。 この石垣も当時の遺構だと思うので、立派な寺院だったのだと思います。
城下町からは少し離れてますが、この辺りにも集落があったのでしょうか?
大きな池の跡がありました。 池の周辺を約40体の石仏が囲みます。
自分以外は石仏しかいない場所。 何年も前からこの風景を見守り続けているのでしょう。
見学に来る人もおらず、非常に静かな場所です。
池の方から山側に向かうといくつかの建物跡があります。
こちらは地下式倉庫跡。 石垣が組まれており、他よりも少し掘り下げられています。
中途半端に思えなくもない深さですが、本当はもっと深いのかも知れません。
排水溝のような溝も残されています。
当時としては先進的な建物だったのかも知れません。
井戸もちゃんと整備されています。
西山光照寺跡は 1471年頃、一乗谷朝倉氏初代、朝倉考景の祖父鳥羽将景の菩提を弔う為に盛舜上人を招いて再興したと伝わります。
1573年に織田信長によって朝倉氏が滅ぼされると、寺院もその時に焼失したと思われます。
西山光照寺跡の散策を終え、一乗谷のメインとなる城下町跡の方へバイクで移動します。
風景も美しいので、時間に余裕があれば歩いて散策するのも良さそうな場所です。
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