日光 東照宮 ― 2017年07月15日
輪王寺から東照宮へ向かいます。
まだ9:00を少し過ぎた位ですが、この時間帯でも結構混雑しているので、東照宮は早めの参拝がお勧めです。
石鳥居
この石鳥居は、黒田長政によって 1618年に奉納された物で高さが 9m あります。 江戸時代に建てられた石造りの鳥居では日本最大との事です。
本当にすごいのは、この鳥居の石材が九州から運ばれた事で、恐らく幕府への忠誠心をアピールする為の事業だとは思いますが、当時の人々の行動力の凄さを感じます。
五重塔
高さ 35m あるこの五重塔は、1650年に酒井忠勝によって奉納されました。
その後、1815年の火災によって焼失しますが、1818年に酒井忠進によって再建されたのが現在の建物になります。
有料ではありますが、五重塔内部も特別公開されてました。 ただ、前回訪問時も公開されていた記憶があるので、結構、定期的に公開されているのかと思います。
せっかくなので拝観料を支払って五重塔の近くに入ります。
五重塔の上部には干支の彫刻が掘られています。 せっかく近くに入れたので丹念に観てまわります。
実は、一番の見所はここ。 軒下から心柱を覗き観ると浮いているのが分かります。
心柱は四重部分からぶら下がっている構造になっており、疎石に固定されてません。 これは建物が収縮した時に心柱が五重塔を突き抜けるのを防ぐのと同時に、免震機能としての役割もあります。 この江戸時代の免振構造は、東京スカイツリーにも応用されています。
表門
この門の内側からは有料になります。
写真は表門の内側ですが、外側には仁王像が安置されている事から仁王門と呼ばれる場合もあるようです。 ただ、仁王像は神仏分離令により一時期別の場所に安置されていたようです。 門が建立されたのは 1636年との事なので、三代将軍徳川家光が大規模改修した時に建てられたのかと思います。
三神庫
表門を通ると目の前に見えるのが三神庫で、祭りで使用する馬具や装束類1200人分が収納されてます。 三神庫とは、上神庫、中神庫、下神庫の総称です。
建物は伝統的な校倉造りです。 でも、こういった豪華な造りの物は珍しいかも知れません。
上神庫の上部には狩野探幽が想像で下絵を描いた象の彫刻があります。
当時、狩野探幽は実物の象を見た事が無かったので、伝え聞いた話を元に想像で下絵を描いたようです。 そのおかげでちょっとユーモラスな感じに仕上がってますね...。
神厩舎
神馬がつながれている厩舎です。 厩舎を囲むように猿の彫刻がほどこされており、人間の一生を表しています。 中でも「見ざる聞かざる言わざる」の三猿は有名で、「悪い事は見ない、聞かない、言わない」を表しているようです。 幼い子供への教育方針と言った所でしょうか。
周辺は観光客でごった返してましたが、中の神馬はすごく大人しく、建物の中に本物の馬がいる事に気付かない人もいたと思います。
輪蔵
江戸時代に、天海が刊行した天海版一切経が収められている蔵です。
内部は公開されてませんが、八角の輪蔵が設けられています。
一般の参拝者でも回せるお寺もありますが、一回廻すと経典全巻を読んだのと同じ御利益が得られるとされています。
陽明門への階段の横に、鉄で作られた変わった灯籠があります。
これは伊達政宗が奉納した灯籠で、ポルトガルから取り寄せた鉄を使って鋳造されています。
鉄でできているので錆びており、他の灯籠とは異質なので目立ちます。
何かと目立つ演出が多かった政宗らしい灯籠です。
鐘楼
陽明門に向かって右側にあるのが鐘楼。 左側にも同型の建物がありますが、そちらは太鼓を納めている鼓楼です。 鐘楼の手前にも何故か鐘が吊るされてます。
物凄く複雑な組物で構成されている豪華な鐘楼で、他では見た事がありません。
この鐘楼も 1636年に建立されたようなので、家光の大規模改修による物でしょうか?
鼓楼、本地堂
陽明門を挟んで反対側にある鼓楼と、奥にあるのが本地堂(薬師堂)です。
東照宮の敷地内ですが、本地堂は輪王寺の管轄なので「お寺」になります。 ここで有名なのは「鳴き竜」の天井画で、特定の場所から音を鳴らした時にだけ共鳴します。
本地堂は 1636年に建立されますが、1961年の火災で焼失します。 現在の建物は 1968年に再建された物です。 狩野永真安信が描いた龍の天井画は、堅山南風が復元した物です。
昔の人が意図して造ったのか解らない鳴き竜の現象ですが、そこまで復元した昭和の再建技術にも驚かされます。
陽明門
大規模修理が終わった後なので非常に綺麗です。 陽明門も 1636年に建立されました。
複雑な組物で大きな屋根を支えているのが特徴的です。 上に行くほど大きく見えます。
組物以外にも、獅子や龍、千人などの精巧な彫刻が施されています。
いくら見ても飽きない事から「日暮の門」とも呼ばれています。
しかし、修学旅行の団体客と鉢合わせた為、門はほぼ素通り。 もう少し近くでゆっくり見たかった...。
陽明門周辺の塀に施された彫刻も凄いです。
神輿舎
三基の神輿が収められており、天上には狩野了琢による天女舞楽の図が描かれています。
写真でも見えている中央の神輿は徳川家康公、左が源頼朝公、右側は豊臣秀吉公になります。 東照宮に秀吉の神輿があるのは意外ですね...。
唐門
唐門を通る事は出来ませんが、脇の入り口から奥の拝殿に入って参拝する事はできます。
写真撮影はNGですが、昔は大名など限られた人しか入れない場所に普通の人が入れるとは良い時代になったものです。
拝殿、本殿が建立されたのは 1617年の秀忠の時代ですが、当時はもっと質素だったようです。 現在のような豪華な姿になったのは家光の代からのようです。 しかし、家光は相当な費用をかけて東照宮を改修してますね...。
ここから奥宮に行く訳ですが、結構な階段を登る事になるので引き返す人も多いです。
ちなみに豪華な建物はここまでです。 奥宮は質素な建物が中心になります。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2017/07/15/8632527/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。