岡山県 津山城2017年08月26日

1604年、森忠政は「鶴山」を「津山」と改め津山城の築城を開始し、1616年に完成します。
忠政は、本能寺の変で信長と供に命を落とした森蘭丸(成利)の弟です。
森氏4代が城主となりますが跡継ぎが無く、松平氏が城主となり幕末に至ります。
廃城令により、明治8年には石垣以外の全ての建物が取り壊されました。

ここはバイクを停める場所を探すのに苦労しました。
最初は津山市観光協会の方に行ったのですが、何やら改築工事が行われており、臨時駐車場の方に向かったら時間が早かった為に入れませんでした。
ぐるっと回って津山文化センターの方から鶴山公園駐車場の方に向かうとこちらもまだゲートが閉じてました。 が、よく見ると駐車禁止の標識が「2輪車を除く」になっていたので道路脇に駐車します。
津山城・鶴山公園駐車場

忘れ去られた石
津山城の入り口に向かう途中、矢穴が開いた石が展示されてました。 矢穴は石を割る為に開けた穴です。 この石は築城では使用されずに放置されたようで、平成10年の台風10号の通過後に発見されました。 平成16年の築城400年記念事業により、この場所に移動、展示されています。
津山城・忘れ去られた石

この石垣の上が三之丸だと思います。
打ち込みハギですかね...。 小石を隙間に埋めて調整してますが、それなり加工された石が使われてると思います。
津山城・石垣

三之丸への階段付近。
幅の狭い壁のように積まれている場所なので、切り込みハギでしょうか? 他とは違ってかなり綺麗に加工された石が使われています。 もしかしたら、比較的新しい年代に補修されたのかも知れません。 ちなみに、石垣の補修工事は昭和55年にも行われているようです。
津山城・三之丸への階段

表中門付近
二之丸へと通じる階段ですが、恐らくこの辺りに表中門があったのだと思います。
階段の大きさや絵図から察するに、かなり立派な門だったと思います。
位置的に、左側の石垣の上には鉄砲櫓があり、写真には写ってませんが階段を挟んで反対側には見付櫓がありました。
津山城・表中門

表中門があったと思われる場所を通過すると、右側に少し幅の狭い階段があります。
正面からは石垣に隠れるような場所にある通り道で、この階段の先には大きな曲輪がありますが、名称は不明です。
津山城・表中門の奥

四足門
奥に備中櫓が見えます。 この辺りに四足門と言う薬医門がありました。 門は中山神社の神門として移築されていて現存するようです。
絵図を見ると、植木のある辺りに多門櫓があったようで、門をこじ開けないと行き止まりになるような構造だったようです。
津山城・四足門

二之丸
写真を撮る為に立っている、ちょうどこの辺りに二之丸御殿があったようです。
三代藩主、森長武の住居として使用されていたようですが、松平氏の代には撤廃されていたようです。 奥に備中櫓が見えます。 ちょっと変わった形をしてますね...。
津山城・二之丸から見た備中櫓

切手門
この階段の手前に切手門と呼ばれる2階建ての櫓門がありました。
手前階段の右側には弓櫓、奥にある階段のさらに奥には辰巳櫓があったようです。
石垣や階段が複雑に入り組んでおり、この辺りは桝形を構成していたようです。
津山城・切手門

表鉄門
先ほどの切手門と供に桝形を構成していた表鉄門があった場所です。 ここを通過するとその先は本丸です。 1809年の火災により、本丸御殿の建物はすべて焼失しており、表鉄門もその時に焼失しています。 表鉄門は、1817年に再建されました。
津山城・表鉄門

太鼓櫓付近
絵図と比べると、この階段の奥に石垣の上に太鼓櫓があったのではと思います。
左側の鐘楼は廃城後に建てられた物だと思います。 昔の絵図を見ると、この鐘楼があった辺りから左側へ多門櫓が連なっていたようです。
津山城・太鼓櫓付近

武者走り
本丸を囲む石垣の内側に武者走りがありました。
この武者走りを登った辺りに矢切櫓があったようです。 その矢切櫓の左側に先ほどの太鼓櫓があり、右側に月見櫓がありました。 昔の絵図を見ると、それぞれの櫓は多門櫓で連結されていたようです。
津山城・武者走り

粟積櫓
本丸北東に位置する粟積櫓があった石垣です。 石垣の大きさから見ても、津山城の中では大きな櫓だったと思われます。 名前の由来は、櫓の建造に粟積山の木材を用いた事からだそうです。
津山城・粟積櫓

本丸
今は何もありませんが、ここには本丸御殿があったようです。
1809年の火災で本丸は全焼しました。 全ての建物では無いと思いますが、翌年には再建されていたようです。 行政の中心的な場所でもあるので、修復は急がれたと思います。
津山城・本丸

七番門
本丸と天守は高さ 4m 程度の石垣で分けられており、天守曲輪と呼ばれています。
天守曲輪の北西部となるこの辺りには七番門と呼ばれる櫓門があったようです。 通行出来ないので確認してませんが、七番門の外側は虎口になっていたようです。
津山城・七番門

天守台
立派な天守台です。 津山城の天守は層塔型の五階建てだったようです。 外観は最上階のみが入母屋造りで、それ以外は特別な装飾のないシンプルな物だったようです。
完成した正確な年代は不明のようですが、1615年頃には完成していたと考えられています。
天守は明治8年に取り壊されました。
津山城・天守台

津山城・天守台

備中櫓
津山城は石垣以外の建造物は残ってませんが、備中櫓は 2004年に復元されました。
この櫓は防御施設よ言うよりも、御殿の一部として使用されていたようです。 内部も畳敷となっており、藩主やその家族など、限られた人しか立ち入れない場所だったようです。
内部の見学も可能で、ここの受付に100名城のスタンプが置かれています。
津山城・備中櫓

上段の間などもあり、確かに、櫓というより御殿のような内部です。
津山城・備中櫓

津山城・備中櫓

裏鉄門
本丸を反対側に抜けて駐車場に戻る事にします。
この階段の突き当り左に裏鉄門がありました。 門は 1809年の火災で焼失しており、その後、再建される事はありませんでした。
昔の絵図を見ると櫓門だったようで、門扉の南側には番所があったようです。
津山城・裏鉄門

裏中門
先ほどの裏鉄門を少し進むと、この辺りに裏中門があったようです。 絵図を見ると、この門も櫓門だったようです。 この門付近には排水溝の跡も見つかっています。
津山城・裏中門

恐らく、裏下門を通過した辺りかと思います。
発掘調査なのか、修復工事なのか不明ですが、一部、ブルーシートで覆われてました。
津山城・裏下門周辺

津山城は、石垣の規模や多くの櫓門跡などからも立派な城だった事が解ります。
ただ、ここも多くの外の城郭と同じく建造物が残っていない事が残念です。
こうしてみると、現存12天守は奇跡的な建造物に思えますね...。
津山城・備中櫓