京都府 銀閣寺 ― 2017年11月24日
1482年に室町幕府八代将軍足利義政は、祖父が建てた鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して山荘東山殿を造営しました。
義政が 1490年に亡くなると、菩提を弔う為に東山殿を相国寺の末寺、慈照寺と改めます。
また、観音殿の「銀閣」という呼び名から、銀閣寺として知られています。
豪華な金閣とは対照的に、質素な銀閣は日本の「わび」・「さび」を表現した建物と言えます。
銀閣寺は世界遺産登録されています。
出町柳駅前のバス停まで歩いて移動しましたが、銀閣寺方面に向かうバス停の場所が分からずに苦労しました。 銀閣寺道でバスを降りて銀閣寺に向かうと、観光客が大勢いました。
銀閣
本来は観音殿と呼ばれる建物ですが、銀閣として知られています。 銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからとも言われています。
「銀箔が張られていた」とか、「資金が不足して断念した」など、色んな説がありますが、最近の調査では元々、銀箔は張られていなかったとされています。
向月台
巨大なプリンのような形をしており、高さは 180cm もあります。 砂を固めて作っているのでしょうか?
この上に座って昇ってくる月を待ったとの言い伝えがあります。
朝10頃だと、逆光で写すのが難しい...。
銀沙灘
縞模様が美しいです。 奥に、向月台、銀閣が見えます。
このような風景になったのは江戸時代に入ってからのようですが、理由や経緯は不明のようです。 でも、美意識としては現代に通じるものがありますね...。
方丈(本堂)
現在の方丈は、江戸時代中期に建立された物です。
当日は1回20名で1日6回の本堂、東求堂の特別公開が行われてました。
東求堂
1486年に建立された建物で、国宝建築物です。
仏間に阿弥陀如来像が安置されています。
紅葉を楽しみながら展望所の方に登っていきます。
裏山の方は苔と紅葉が美しいです。
弁財天
ヒンドゥー教の女神サラスヴァティーが仏教に取り込まれたのが弁財天で七福神の一人です。
お茶の井
足利義政公がお茶に使用したと伝わる湧き水です。
義政は政治に関心が無く、応仁の乱を長引させた要因の一人のような印象がありますが、文化人として見れば東山文化を開花させた中心人物とも言えるので、評価が難しい人物なのかも知れません。
将軍職を務めた義政が晩年を過ごした場所ですが、意外と質素な場所でした。
その素朴な中に日本の美しさを感じ取る場所なのかも知れません。
ここも海外からの旅行者が多い所なので、写真を撮るのに苦労しました..。
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