京都府 永観堂 ― 2017年11月24日
863年、弘法大師の高弟、真紹が清和天皇から許可をもらい建立したのが禅林寺です。
永観堂は禅林寺の別の呼び名で、禅林寺に施療所を建てた永観は人々から慕われており、その頃から永観堂と呼ばれるようになったようです。
哲学の道をひたすら南下して永観堂に到着すると、紅葉の名所だけあってすごい混雑です。
20分ほど並んで入場しますが、夜間ライトアップだったら、こんなものでは済まないかも知れないです...。 外から見える紅葉の素晴らしさからも期待が高まります。
大玄関
ここが諸堂の入り口です。 当然ですが、入口も混雑しています...。
永観堂は建物の間が廻廊で繋がれており、ここから諸堂内部を拝観する事が出来ます。 実際、歩いてみると、結構、広いです...。
位置関係的に左側の建物が釈迦堂。 庭の中央には綺麗に整えられた盛砂があります。
盛砂の先には 1811年に再建された勅使門(唐門)があります。
元々は、清和天皇の勅使参詣の為に建てられた門ですが、現在では住職が遷化(亡くなる事)した時のみ使用されているようです。
釈迦堂の裏側は古方丈、瑞紫殿に囲まれるように中庭があります。
こちらも紅葉が見事です。
この時期は寺宝展が行われており、紅葉意外にも見所が多いです。 普段は見れない文化財なども公開されています。
釈迦堂から御影堂に向かう廻廊からの一枚。
下を歩いている人は廻廊の下を通って多宝塔へ登る人達です。
さすがに紅葉の名所だけあって何処を見ても美しいです。
一番上に見えるのが多宝塔。
実は昭和3年に建立された物で、それほど古い建物では無いです。
二重の建物で、上の方は円形になっている、少し変わった建物です。
中腹に見えるのは開山堂かな?
御影堂
現在の御影堂が建立されたのは 1912年なので、こちらも意外と新しい建物のようです。
写真は帰り際に外から撮影した物です。 拝観している人の行列が出来ています...。
御影堂には法然が祀られていますが、法然自身は禅林寺とは直接関係はありませんでした。
しかし、住職となった静遍らに大きな影響を与え、浄土宗になるきっかっけを作った人物と言えます。 (元々は真言宗の道場だったようです。)
臥龍廊
御影堂から先に進むと廊下がT字路に分岐しており、左に行くと開山堂、右に行くと阿弥陀堂に着きます。 非常に混雑していたせいか、開山堂への通路は閉鎖されてましたが、開山堂への登り階段は見る事ができました。
開山堂への廊下は臥龍廊(がりゅうろう)と呼ばれており、この曲がった感じが独特です。
開山堂
普段なら臥龍廊を通ってここまで来れると思うのですが、今回は外からの訪問。
多宝塔に登る途中にあります。
建立年代はちょっと調べた感じでは判らなかったです。 何時頃だろう?
阿弥陀堂
1597年に大阪四天王寺に建立された曼茶羅堂を 1607年に阿弥陀堂として移築した物です。
御本尊は平安時代末期に制作されたと考えられるみかえり阿弥陀如来像です。
名前の通り左側を向いている、ちょっと変わった阿弥陀様です。
鐘楼
1707年に建立されたそうです。
金属製の手すりが備え付けてあったので、もっと最近の物かと思いました。
ここから開山堂の方に登る事ができます。
当然の事ながら、この先の登り階段も、大変混雑してます...。
画仙堂
1914年に建立された建物です。
当日は特別公開されており、障壁画「浄土変相図」を観る事が出来ました。

最後に庭園を通って入り口に戻ります。
何処を見ても真っ赤です...。 人が多すぎるのが難点ですが...。
永観堂は紅葉を楽しむには間違いない場所ですが、ベストシーズンは非常に混雑します。
ここに来るなら朝一が良さそうですね...。
さて、次の目的地、南禅寺に向かいましょう。
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