大阪府 大阪城(1)2018年04月28日

豊臣秀吉の天下統一の象徴とも言えるのが大阪城です。 1583年に秀吉が大阪城を築城したのが始まりですが、1496年には既に浄土真宗の蓮如上人によって石山本願寺の砦が築かれていました。 大阪城は、その砦跡に築城されています。
鉄壁の防御力を誇っていた大阪城ですが、秀吉の死後、徳川家康の策略により大阪夏の陣にて落城します。 1620年に徳川秀忠により再建されますが、多くの建物は幕末の動乱で失われました。

大阪城の訪問で一番苦労したのはバイクの駐車場所でした。
森ノ宮駐車場にはバイクは停める事は出来ませんが、出入り口付近に多くのバイクが停めてありました。 当初、そこに停めようかと思ったのですが、駐車禁止の取り締まりが気になったので止めました。 調べてみると、近くにサイカパークOBP北駐車場横自動二輪車駐車場があるのでそこに駐車します。 しかし、場所も解りにくく、駐車台数も限られているので、もう少しなんとかして欲しいものです...。

北外堀
立派な外堀です。 大阪冬の陣の後、南側の堀は埋められましたが、北側の堀は夏の陣の時も残っていたようです。 ただ、現在の大阪城は秀忠による再建後の姿だと思われるので、秀吉時代の姿とは異なるのかも知れません。
大阪城・北外堀

青屋門
北側からの二ノ丸への出入り口になります。
徳川時代に再建された門は明治維新の時に焼失し、再建された門も太平洋戦争の空襲で損壊しました。 現在の門は 1969年に、残された部材を使用して再建された物です。 この門は桝形門の内側の門になります。
大阪城・青屋門

大阪城・青屋門

内堀
観光用の船が内堀を往来していました。
石垣の高さもかなりの物です。 ただ、石垣の石の加工状態からも、秀吉の時代では無く、徳川の時代に再建された物かと思います。
大阪城・内堀

極楽橋
二ノ丸から山里丸へと通じる橋です。 秀吉の時代にも、この辺りに同名の橋が架かっていたそうです。 徳川の時代に架けられた橋は明治維新の時に失われており、現在の橋は 1965年に架け直された物です。 天守が徐々に近づいてきました。
大阪城・極楽橋

山里丸
大阪夏の陣にて大阪城が落城した際、淀殿と秀頼が自害したのが、この山里丸だと伝わっています。 秀吉の時代では防御施設よ言うより、家族の憩いの場だったらしく、藤や桜の木などが植えられ、茶室なども備えていたようです。
ここには、当時の刻印が刻まれた石材が展示されています。
大阪城・山里丸

大阪城・山里丸

山里口出枡形
本丸側から山里丸に突き出るように配置されている枡形です。 天守が良く見えます。
この枡形は徳川の時代に造られた物で、現在の復興天守も徳川時代の天守台跡に建てられたそうなので、徳川の時代に近い眺めなのかも知れません。
当然、枡形の内側、外側には門がありましたが、明治維新の動乱で焼失したようです。
大阪城・山里口出枡形

隠し曲輪
山里口出枡形を囲む石垣の一部に切れ目があり、その先に隠し曲輪があります。
徳川の時代に造れたようで、火薬庫が置かれた時期もあったようです。
本丸唯一の帯曲輪でもあります。
大阪城・隠し曲輪

天守
1931年に建てられた復興天守です。 鉄筋コンクリート製で、内部は資料館になっています。
秀吉の代から数えて3代目です。 秀吉の天守が31年、徳川の天守が40年だったので、現在の天守は最も長寿な物となります。
天守入り口に行列が出来てますが、これは最上階へのエレベーター待ちの列です。 待つのが嫌だったので階段を登りましたが、かなりキツかったです。
なお、100名城のスタンプは、1階のインフォメーションにありました。
大阪城・天守

金明水井戸屋形
小天守台にある井戸で、「金明水」と呼ばれてました。 これを覆う建屋を金明水井戸屋形と言い、重要文化財でもあります。 井筒は1個の石をくり抜いた物が使用されています。
深さは 33m あり、調査の結果、徳川の時代に造れた物のようです。
大阪城・金明水井戸屋形

桜門枡形
権威を見せつける為に巨石を石垣に使用する事は多いのですが、この枡形の巨石は尋常でない大きさです。 1624年の大阪城再建2期工事で池田忠雄が担当した場所で、表面積が 59.43㎡、重量が108t もあります。
上部には多門櫓があったようですが、明治維新の動乱で焼失したようです。
大阪城・桜門枡形の巨石

桜門
1624年の徳川による再建工事の時に創建されたが、明治維新の時に焼失しました。
大阪城は、明治維新後は陸軍が使用しており、現在の門は 1887年に陸軍が再建した物です。 戦後も、台風により倒壊した事がありますが、その後、復元されています。
大阪城・桜門

大阪城・桜門

この辺りの堀は空堀です。 当時も空堀だったのでしょうか?
大阪城・空堀

一番櫓
徳川幕府により、1628年に創建された2層2階の櫓です。 内側から見ると、外観はかなりシンプルです。 大阪城二ノ丸南側には一番~七番までの櫓があったようですが、現存するのは一番と六番のみです。
戦後の解体修理時に見つかった部材の墨書銘により、1658年、1668年、1832年に大規模な修復が行われていた事が判明しています。
大阪城・一番櫓

六番櫓
二ノ丸の現存する2つ目の櫓です。
創建時期は一番櫓と同じく 1628年です。 こちらも内側から見るとのっぺりしてます。
やはり、櫓は多少、離れてでも外から見た方が良さそうです。
大阪城・六番櫓

西の丸の櫓が特別公開されているようなので、そちらも見学していく事にしましょう。


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