大分県 岡城(1)2018年05月02日

岡城の歴史は古く、緒方惟義が 1185年に築城したのが始まりと伝わります。
現在の姿は 1594年に中川秀成が移封され、3年かけて普請した時の物です。
1771年に城下町で発生した火災が城郭にも延焼し、多くの建物が焼失しました。
岡城は明治まで存続しますが、廃城令により建物は全て取り壊され、現存するのは石垣のみです。 なお、滝廉太郎の「荒城の月」は荒廃した岡城をイメージして造られたそうです。

岡城の駐車場は広く、駐輪スペースもちゃんと確保されているのでバイクでも安心。
佐伯市のホテルから雨の中を google 先生のナビに従って走ってきましたが、岡城近くであまりにも細い道を走るので不安になりました。 志布志でレインブーツを無くしたので靴の中もビショビショで大変な一日になりそうです...。
岡城・駐車場

受付で入城料を支払うと巻物状の案内がもらえます。 なかなか洒落てますね。
ただ、この雨なので広げて中を見たのはホテルに帰ってからです...。
大手門の手前には土産物屋が数店あり、お店から荒城の月が流れてました。 滝廉太郎は幼少期を竹田で過ごしていたそうです。
岡城・大手門へ

岡城・大手門へ

大手門の登城路を進むと素晴らしい眺めが見えてきます。
奥に見えるのは大手門の石垣でしょうか...。 荒城の月のイメージそのままの風景です。
岡城・大手門

大手門跡
中川氏が築城した当時、大手門はもっと東側(多分、もっと奥?)にあったようです。
1612年に岡城に立ち寄った藤堂高虎の助言により現在の位置にうつされたようです。
ここは下から見上げた時の石垣が見事なので、門は復元しない方が良さそうですね...。
岡城・大手門

岡城・大手門

西ノ丸
1664年、西ノ丸は三代藩主中川久清が隠居後の住まいとして普請されました。
政務が行われる事もあったようですが、居住空間としての役割の方が大きかったようです。
1771年に火災で焼失、その後 1779年に再建され、政務の中心的な場として使用されるようになります。 西ノ丸の手前には一段下がった区画があり、写真はその部分です。
岡城・西ノ丸下段

岡城・西ノ丸下段

ここが西ノ丸のメイン部分。
この広い場所に御殿が建っていたようです。
岡城・西ノ丸

中川民部屋敷跡
西ノ丸から一段下がった所にある中川民部屋敷跡です。
家老であった中川民部は三代藩主久清の五男、中川久旨を祖とする家系の出身です。
屋敷には茶室や土蔵などもあったようです。
岡城・中川民部屋敷跡

近戸門跡
中川秀成による普請の際に造られたのが近戸口です。
西側の曲輪や、近戸口への通路には多くの武家屋敷が配置されました。
1765年に普請方の失火により近戸門は焼失しています。
雨で案内の巻物を広げられなかったので気が付きませんでしたが、ここから七曲りを通って駐車場に戻る事ができたようです。
岡城・近戸門跡

岡城・近戸門跡

普請方跡
普請奉行の指示の下、工事や建物の維持管理を行っていた人達の役職が普請方と呼ばれていたそうです。 ここには普請方に関係する施設が建てられていたのでしょうか?
しかし、ここの石垣の保存状態は良好なようです。 まるで海外の遺跡のようですね...。
岡城・普請方跡

中川覚左衛門屋敷跡
岡藩家老であった中川覚左衛門の屋敷跡です。 ここは発掘調査などにより判明した屋敷の間取りが分かるように公開されています。 個人的には建物の資料が不足している場合は無理に復元せず、このような間取りを中心とした展示は良い考え方かと思います。
中川覚左衛門屋は茶道で知られている古田織部正重勝の子孫で、中川の姓をり 1745年にこの屋敷に移りました。
岡城・中川覚左衛門屋敷跡

岡城・中川覚左衛門屋敷跡

賄方跡
食事などを用意する役職が賄方になりますが、来客者へ対応する役割もあったようです。
現代で言う、「受付」みないた所でしょうか?
登城者は「惣役所」で献上品を渡した後、「御賄所」で城内への案内を待ちます。 その時、賄方が来客者への対応を行っていたようです。
「御賄所」は 1765年に火災で焼失しているようです。
岡城・賄方跡

武具方跡
賄方の隣にあります。 名前から察するに、武器や防具の管理をしていた場所かと思います。
岡城・武具方跡

朱印状倉跡
朱印状とは、花押の代わりに朱印を押した公的文書の事で、ここにはそれを保管していた倉庫のような建物があったと思われます。
でも、敷地面積が広いので倉庫以外にも役人の詰所的な建物もあったのかも知れません。
岡城・朱印状倉跡

岡城・朱印状倉跡

中川但見屋敷跡
中川但見は、中川秀成の父、清秀の家老を務めていた戸伏氏の家系の人物です。
代藩主久盛の代に中川の姓を名乗ります。
この屋敷跡は、藩主中川秀成が築城を開始してから本丸完成までの間に仮の屋敷として使用していた場所でもあります。
岡城・中川但見屋敷跡

城代屋敷跡
藩主が参勤交代などで不在な時に代理を務める家老の屋敷があった場所です。
西ノ丸周辺には家老屋敷が多数ありますが、城代屋敷は本丸の一番近くにあります。
藩主不在の時は特に重要な場所だったのかも知れません。
岡城・城代屋敷跡

ここから先が城の中核となる本丸になります。
雨の中の散策は「しんどい」の一言ですが、頑張ってに進みましょう。