東京都 品川台場 ― 2018年05月13日
1853年6月のペリー来航を受け、同年8月に造営された砲台が品川台場になります。
12の台場が設置される計画でしたが、実際に設置されたのは 第6台場までで、第7台場は途中で建設が中止されました。 現存するのは第3、第6台場ですが、自由に見学可能なのは第3台場になります。
続100名城の一つですが、他の城郭とは少し異なる施設かも知れません。
品川台場の続100名城スタンプは、お台場海浜公園にあるマリンハウスの受付に置いてあります。 マリンハウスから海の方を眺めると、島のように見える部分が品川台場になります。
品川台場は正方形の形をしており、周辺は高さ5~7m の石垣で囲まれています。
石垣は同じ大きさに加工された石がブロック塀のように綺麗に積まれています。
積み方が綺麗すぎて、江戸時代当時の物なのか、公園として整備された時の物なのか良く判らないです。
土塁の上から見た所です。 結構な高さがある土塁です。
台場の正方形の土地は埋め立てて造られた人工の土地で、品川区にあった御殿山、高輪にある泉岳寺境内の土などが使われました。
弾薬庫跡
周辺には5つの弾薬庫がありました。
恐らくこの土塁に出来た穴がそうだと思いますが雑草が凄くて近づく事ができませんでした。
何らかの建物が存在していたと思われる跡地です。
案内板の地図には建物の存在を思わせる表記はありますが、どのような役割の建物だったのかの説明はありませんでした。
かまど場跡
大砲に着火する為の火種を管理していた場所らしいです。
かまど自体は江戸時代の物では無いとの事なので復元された物なのかも知れません。
「かまど」と聞いて、「調理場」かと思いました...。
陣屋跡
台場の中央部にあった陣屋跡です。
守備する武士の休憩所のような場所だったようです。
江戸時代の建物なので当然木造建築でした。 このコンクリート製の基礎は大正時代に造られた物らしいです。 朽ちた感じがなかなか良いです。
西側の緑地内を歩くと、そこにも人工物の残骸があります。
でも、コンクリート製のような物もあるので、必ずしも江戸時代当時の物では無いかと思います。 ちょっと不思議な空間です。
砲台跡
南側の土塁の上に砲台跡が2門並んでいます。
砲台自体は江戸時代の物では無いです。 展示用にコンクリートで再現された物です。
大砲の鋳造は佐賀藩などが行いました。 しかし、この大砲は使われる事なく開国する事になります。
台場の北側には桟橋のような物もあります。
コンクリート製のように見えるので江戸時代の物では無いと思います。
ここが史跡として管理されたのは大正時代からなので、昔の公園設備の一部でしょうか?
何処となく廃墟感のある場所です。
数日前に、レインボーブリッジが歩いて渡れる事を知りました。 橋の上から品川台場が良く見えそうなので、レインボーブリッジを歩いて帰る事にします。
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