兵庫県 姫路城(1) ― 2018年09月17日
姫路城は 1346年に赤松貞範によって姫山に築かれたのが始まりと考えられています。
1580年に羽柴秀吉が姫路城に入ると、さらなる城の拡張が始まり、姫路城と呼ばれるようになったのはこの頃からのようです。
関ヶ原の戦い後の 1600年に池田輝政が城主になると翌年から大規模改修が始まり、近代的な大規模城郭になります。
明治6年には廃城令が発せられますが姫路城は存城処分となり、太平洋戦争時の姫路空襲でも焼失を逃れました。 なお、存城処分となった城は全国に56あったそうですが、建物がそのまま残ったケースは少ないようです。
現在は、国宝でもあり世界遺産登録もされています。
街中の城郭の場合、バイクを停める場所を探すにみ苦労します。
姫路城の場合はすぐ近くの大手門公園地下駐車場にバイクが停められました。 ここは十分な広さがあるので、大抵の場合はここで大丈夫かと思います。
大手門
地化駐車場がある大手門公園から、姫路城入り口の大手門まではすぐです。
ここからでも巨大な姫路城が良く見えます。
大手門前の橋には「桜門橋」と書かれてました。 何で「大手門橋」で無いんだろう?
大手門も桜門橋も復元された物で当時の建物ではありません。 桜門橋は当時の橋台の遺構を利用しているようなので、橋の位置は当時に近いと思います。
内堀も石垣も、城の規模に見合う立派な物です。
三ノ丸
今はただの広場ですが、三ノ丸があった場所です。
1617年に入封した本多忠政はここに御殿を建て、それ以降、ここが政務の中心となります。
御殿は大広間だけでも 151畳もある広大なものだったようです。
御殿を復元する計画があるそうですが、資料などが不足しているようです。
地元の方と思われる人と雑談をしながら料金所へ進みます。
まだ時間が早かったので多くの人が開館時間を待ってました。 世界遺産として有名なせいか、海外旅行者が多かったです。
100名城のスタンプは、料金所脇のこの事務所に置いてあります。
菱の門
料金所を通って一番最初に現れる櫓門でする。
片側だけ石垣の上に載っている、少し変わった櫓門でもあります。 冠木(両脇の柱を貫く横木)の部分に菱の紋がある事から「菱の門」と呼ばれているそうです。
いの門
今回は天守が混雑すると面倒なので西ノ丸は後で廻る事にします。
菱の門を通って真直ぐ天守に進む場合、次に通る門がこの「いの門」で、それほど大きくは無い高麗門です。 西ノ丸から本丸に向かうと、ここは通らない可能性があります。
「いの門」近くにあった井戸です。
姫路城の内曲輪(本丸、二ノ丸、三ノ丸、西ノ丸、勢隠曲輪、および出丸)には33の井戸があったそうですが、現存するのは11カ所です。
この井戸の深さは 8.8m あり、水深は 2.7m あります。
天守がだいぶ近づいてきました。
ろの門
「いの門」に続く高麗門が現れますが、これが「ろの門」です。
この門の先で西ノ丸側と本丸側に道が分岐します。 菱の門を通ってからここまでは、ほぼ一直線で、入り組んだ虎口のような構造は見られません。
はの門
「ろの門」を通過した後、土塀沿いに進むと「はの門」が見えてきます。
姫路城は、こういった感じの小さな門が多いです。 もっとも、姫路城ほど当時の遺構が残されているケースは稀なので、他の城跡では門の存在に気付かなかっただけかと思いますが...。
ここからの天守の眺めは美しいです。
「はの門」の基礎には石灯籠が使われています。 石棺が石垣に使われる場合もあるので、当時は使える物は何でも使ったのでしょう。
「はの問」を通過すると天守はかなり近くなります。
2つの小天守と大天守が折り重なっているので複雑な構造に見えます。
左側にあるのが乾小天守、右側の奥にある大きいのが大天守、その手前に重なっているのが西小天守です。 なお、土塀の先にある、左上に一部だけ見えているのは「にの門」です。
にの門
細い通路を天守とは逆方向に進んだ先にあるのが「にの門」です。 この「ほの門」を通過すると、いよい本丸になります。
乾小天守
姫路城は天守と小天守で四方を囲む連立式天守です。 乾小天守は大天守の向側に位置します。 攻め手側は、強制的にこの乾小天守の下を歩かされる事になります。
もっとも、乾小天守の下を歩くには、さらに「ほの門」を突破する必要があります。
ほの門
姫路城の登城路は、天守に近づくにつれて狭くなっていきます。 また、門もこのように小さく狭い物になります。 「ほの門」を通過した先の石垣には「姥ヶ石」と呼ばれる石があります。
この石には、羽柴秀吉が姫路城を築城する際、石材集めに苦労している話を聞いた老婆が、自身が使っていた臼を差し出したとの伝説があります。
ただ、実際にこの石垣を築いたのは池田輝政なので、この伝説は史実とは異なるようです。
「ほの門」を通過した後も、「水の門」と呼ばれる小さな6つの門が連なります。
この門は西小天守の下を回り込むように配置されています。
攻め手からすれば、小天守の真下で立ち往生するのは避けたい所です。 非常に嫌な場所に配置されている門です。
相当な数の門を通過してやっと天守の入り口に到着しました。
建物の規模から考えると小さな入り口です。 これも防御を意識しての事でしょう。
続きは次回へ...。
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