兵庫県 姫路城(2)2018年09月17日

前回の続きです。

姫路城の連立天守は 1609年に池田輝政によって造られました。
大天守は五重七階(地上部分は六階)もある巨大な物です。 天守は東西2本の大柱で支えられており、西側の柱は1本では無く途中で継ぎ足されています。

天守内部の見学は1階からになります。
1階の3カ所には「石落とし」があり、石垣を登ろうとする敵や下を歩く敵を攻撃する事ができます。 なお、天守への出入り口は4カ所あり、その内の2カ所は1階にあります。
姫路城・天守内部・1階

姫路城・天守内部・1階

大天守1階部分にある出入り口の一つです。
金庫のような鉄製の扉で、窓から外を見ると隣の小天守と連結されています。
守りを厳重にする為、出入り口としては小さく造られています。
姫路城・天守内部・1階入り口

姫路城・天守連結部分

天守2階部分にある破風の間です。
破風の屋根裏に当たる部分で、片方の窓は開閉可能です。
2階部分には武具庫や武具掛けなどが配置されています。
姫路城・天守内部・2階、破風の間

天守3階部分です。 中央の大きな柱が東大柱です。
奥にある階段の辺りに西大柱もあるのですが、壁と一体化しているのでこの写真からは分りにくいです。 東大柱は1本の柱ですが、鉄板で補強されています。 西大柱も昭和の大修理の際に鉄板で補強されているので、東大柱の鉄板もその頃の物かも知れません。
大千鳥破風の影響か、少し狭くなってきた感じがします。
姫路城・天守内部・3階

姫路城・天守内部・3階

三階四隅には武者隠しがあります。 壁にある小さな四角い窓から飛び出るのだと思います。
姫路城・天守内部・3階・武者隠し

天守4階部分です。
だいぶ狭くなってきました。 この階の窓は大千鳥破風の影響を受けている為、他の階よりも高い場所に窓があります。 窓には「石内棚」と呼ばれる棚が取り付けられており、窓から攻撃する事への配慮がされています。
姫路城・天守内部・4階

姫路城・天守内部・4階・石打棚

4階部分には4つの破風が取り付けられているので、四隅には破風の間があります。
ここは攻撃の場でもあったようです。
姫路城・天守内部・4階

天守5階部分です。
ここは、外から見ると4階の屋根裏みたいに見える場所で、存在が分かりにくい場所です。
東西の大柱はこの階が一番上になります。
姫路城・天守内部・5階

姫路城・天守内部・5階

天守6階、最上階に到着しました。
天守最上階には長壁神社が鎮座しています。 この神社は姫山の地主神を祀る神社で、天守内に祀られるようになったのは近代になってからのようです。
元々は「との二門」と「との三門」の間に鎮座していたようです。
姫路城・天守内部・6階

東小天守の方に向かう途中、「との一門」が見えました。
長壁神社が元々鎮座していたのは、この門の先だと思いますが見学ルートから外れているようです。 このあと小天守を回って天守内部の見学が終了します。
姫路城・との一門

天守内部の見学を終えて本丸(備前丸)に出てきました。
ここから大天守が良く見えます。
姫路城の見学ルートは一方通行が多いので、見逃しが無いように注意が必要ですね..。
姫路城・大天守

備前門
池田輝政が城主だった時代、本丸に御殿を建てて生活していたようです。
本多家が城主になると、本丸は「備前丸」と呼ばれるようになり、この門は東側からの出入り口となります。
姫路城・備前門

りノ門
備前門を通過して本丸(備前丸)の石垣沿いに進むと「りノ門」が現れます。 先ほどの「備前丸」と「りノ門」の間は帯曲輪のようになっており、この門は上山里丸との出入り口となる場所にあります。
この門は墨書により慶長4年(1599年)に存在していた事が判明しています。 その頃の城主は木下家定(北政所の兄)でした。 他の遺構よりも少し古い時代の物のようです。
姫路城・りノ門

お菊井戸
上山里丸にあるこの井戸が「播州皿屋敷」で有名な「お菊井戸」です。
永正年間(1504 ~ 1521年)、青山鉄山と町坪禅四郎は城主小寺則職から城を奪う企てをします。 則職の家臣衣笠元信は探りを入れる為にお菊を青山家に女中として送り込みます。 お菊の働きにより則職の命は助かりますが鉄山に城は奪われてしまいます。
お菊が内通していた事を知った禅四郎は、命を助ける変わりに妾になる事を強要しますが拒否されます。 逆恨みした禅四郎は青山家の家宝の皿を一枚隠し、お菊を責め立て殺害して井戸に投げ込みます。 それ以来、お菊の皿を数える声が井戸から聞こえるようになったと言う伝承です。
姫路城・お菊井戸

ぬノ門
二階建てのかなり重厚な櫓門です。 この櫓門は周辺の多門櫓とも連結されています。
上山里丸への侵入口を守る重要な門です。
なお、案内用にもらったパンフではこの辺りは「二ノ丸」と記されてますが、「上山里丸」と説明している資料が多かったのでそちらを採用しました。
姫路城・ぬノ門

ふり返ると連立天守が迫ってくるように見えます。
当時はこれほど巨大な建造物は少なかったと思うので、この風景は見る者に相当な威圧感を与えていたと思います。
姫路城・天守

だいぶ歩いたので疲れてきましたが、次は、西ノ丸、好古園へと向かいます...。


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