千葉県 大多喜城2018年10月07日

大多喜城の築城年代ははっきりしません。 1532 ~ 1555年頃、里見氏の重臣正木氏がこの地に入りますが、もっと前に武田氏が入城したとも言われてます。
1590年に北条が秀吉によって滅ぼされると、徳川家康の家臣本多忠勝が城主となります。 本多氏は 1617年まで城主を務めます。 1703年に松平氏が城主になると、明治の廃城令が出るまで松平氏が城主を務めます。

今回の訪問先は千葉県なので、東京湾アクアラインを使う事に。
海ほたるパーキングに来たのは開通時以来なので 21年ぶりの訪問です。 そんなに昔の事だったのかと思うと不思議な感じがします。
あと前回同様、アクアラインの突風はバイクには恐ろしかったです...。 
海ほたるパーキング

海ほたるパーキング

海ほたるパーキング

大多喜城には近くに大多喜城駐車場があるのでバイクはそこに駐車しました。
結構、広い駐車場なので駐車スペースは十分です。
大多喜城駐車場

大多喜水道
大多喜城周辺は長らく水不足の問題に悩まされていました。 1869年(明治2年)に最後の藩主松平正質によって水道工事が行われました。
この穴はその水道跡のようです。
大多喜城・大多喜水道

千葉県立中央博物館大多喜城分館
駐車場から少し坂を登ると天守が見えてきます。
昭和50年に建てられた鉄筋コンクリート造りの模擬天守で、この建物が続100名城のスタンプが置かれている博物館になります。
千葉県立中央博物館大多喜城分館

「模擬天守」と表現しましたが、1835年の図面を参考に外観は復元しているようです。
天守は 1842年の火災で焼失しており、その後、「御神殿」と呼ばれている建物が建てられたそうです。 ただ、「天守は存在しなかったのでは?」との説もあるようで、結論はまだ出ていないようです。
書籍によっては「復元」や「復興」と表現してる物もあるようです。
個人的には外観は良く出来てると思います。
千葉県立中央博物館大多喜城分館

本丸の土塁
博物館がある本丸の周辺には土塁の跡が今でも残っています。
土塁の下には空堀があったようなので、そこの土が使われたのだと思います。
土塁としてはそれほど高くはありませんね...。 当時はもっと高かったのかも知れませんが..。
大多喜城・本丸の土塁

博物館の見学が終わり、本丸をブラブラしていた所、山を下りた所に当時の井戸と門が現存するようなので下に下りてみる事にします。
昔の絵図と位置関係もだいたい合っているので、昔からある登城路かも知れません。
大多喜城・登城路

絵図を見た感じでは、昔はこの道を分断するように空堀があったようで、橋が架かっていたようです。
大多喜城・登城路

天体望遠鏡と思われるドームのある千葉県立大多喜高等学校が見えてきました。
この高校がある場所が昔は二ノ丸だったようです。
天体望遠鏡のドームがある学校とは素敵ですね...。
千葉県立大多喜高等学校

大井戸
高校の駐車場の中に大きな井戸が見えてきました。
本多忠勝が築城した時に掘られたと伝わる「底知らずの井戸」です。 周囲 17m、深さ 20m もある巨大な井戸です。
かなり違和感のある場所にあるので、学校建設時に埋めなかったのが不思議です。 大きすぎて埋めるのを止めたのでしょうか?
大多喜城・大井戸

大多喜城・大井戸

薬医門
1842年の火災の後に建てられた二ノ丸御殿の門です。 廃城後は個人に払下げられましたが1926年(大正 15年)に大多喜中学校の校門として寄贈されました。
大多喜高校建築時には解体保存されてましたが 1973年に復元されました。
高校の敷地に建つ、違和感満載の門です。 学校が休みの日以外は入りずらい場所です...。
大多喜城・薬医門

思ったほど当時の遺構が残っていない印象でした。 続100名城に選ばれたのは本多忠勝の影響と言った所でしょうか?