広島県 縮景園2019年01月03日

1619年に浅野長晟が広島藩主として移封し、翌年から泉水屋敷の建造が始まります。 その時の屋敷の庭園が縮景園の始まりとなります。
1758年に広島城下で大火災が発生し、縮景園も大きな被害を受けます。 1788年に大規模な修復が行われ、ほぼ現在の姿になります。 明治に入ってからも縮景園は庭園として保存され存続しますが、1945年、原爆投下によって庭園は全壊します。
しかし驚くことに、1949年には縮景園の復旧が開始され、1951年には再開園します。

バイクはエンジン不調で修理中なので、今回は電車旅となりました。
表門の前に専用駐車場がありますが、バイクが駐車可能かは不明...。
縮景園

清風館
元々は「壱之御茶屋」と呼ばれてましたが、7代藩主浅野重晟の頃、「清風」の額に因んで「清風館」と呼ばれるようになります。
歴代藩主お気に入りの名亭で、日清戦争で大本営が広島に移された時には明治天皇の居所として使用されました。 現在の建物は 1964年に復元された物です。
縮景園・清風館

縮景園・清風館

傘が被せられた冬仕様の牡丹がずらりと並んでました。
1月中旬までの期間限定らしいです。 ちょっと可愛らしいです。
縮景園・牡丹

跨虹橋
1788年の主福時に造られた石橋です。 最初に造った橋は藩主が気に入らなかったらしく、一度作り直しているそうです。
この石橋は原爆投下後の写真にも写っている事から、爆風によって倒壊する事は無かったようです。 現在は石橋を渡る事はできず、脇に設置された木橋の部分を通行します。
縮景園・跨虹橋

縮景園・濯纓池
庭園の中心にある大きな池で、庭園の20%を占めます。
原爆投下後の写真にも池は写っているので、さすがにこの大きさだと蒸発するような事は無かったようです。 ただし、復旧時にはヘドロの除去などを行ったようです。 水源は近くの川や井戸水のようなので、水の入れ替えは比較的容易だったのかも知れませんが、大変な作業だったと思います。
縮景園・濯纓池

縮景園・跨虹橋

大銀杏
この大銀杏は原爆投下による焼失を逃れた樹木の一つです。
木が傾いているのは爆風の影響による物らしいです。
この被爆した木は静かに平和を訴え続けています。
縮景園・大銀杏

香菜圃
1963年に宇治茶などの有名銘柄を植え、原爆投下前の様子に復元された茶畑です。
毎年、八十八夜前後に新茶が摘まれているそうです。
縮景園・香菜圃

霊迹壇
天明年間(1781~1789年)に京橋川が氾濫し、その時に流れ着いた3体の仏像を安置する為に建立されました。 しかし、原爆投下によって建物と2体の仏像は焼失します。
現在は再建された御堂に、焼失を逃れた1体の仏像(十王像)が安置されています。
縮景園・霊迹壇

祺福山
第五代藩主、浅野長吉が 1713年に祺福山(きふくざん)に建立したと伝わる稲荷神社がありましたが、原爆によって焼失しました。
焼失した稲荷神社は何故か饒津神社(にぎつじんじゃ)内に復元されているそうです。
現在の祺福山には独特な台に乗った小さな社があります。 特に説明はありませんでしたが、祀られているのはお稲荷様でしょうか?
縮景園・祺福山

縮景園・祺福山

明月亭
月を鑑賞するのに良い場所なので明月亭と名付けられた建物です。
1974年に復元された建物のようなので、こちらも元の建物は原爆投下によって焼失したものと思われます。
縮景園・明月亭

夕照庵
1970年に復元された茶室です。 ここから見える夕日と紅葉が美しいそうで、恐らく「夕照庵」の名前もそこから付けた物かと思います。
縮景園・夕照庵

調馬場跡
夕照庵の裏にあるこの一直線の通路が馬の調教訓練用の馬場だった場所です。
近くには藩主が調教の様子を見る為の建物があったようです。
他にも銃や弓の訓練所もあったようです。 具体的な場所の説明はありませんでしたが、訓練所があったのは今は梅林になっている辺りでしょうか?
縮景園・調馬場跡

超然居付近の様子です。 この辺りの景色は美しかったです。
自然石を使った手水鉢は「萬歳手水鉢」と呼ばれているらしく、湧き水を木簡で通して水が自然に湧き出ているように見せていたそうです。
縮景園・萬歳手水鉢

縮景園

ちょっと変わった形をしているこの石灯籠は「楊貴妃型石灯籠」と呼ばれています。
頭の形が楊貴妃の冠に似ている事からそう呼ばれているそうです。
京都の聚光院にある千利休の墓が同じ形をしているそうですが、このように頭が細長いのはあまり見かけないです。
縮景園・楊貴妃型石灯籠

今の縮景園は静かな美しい庭園ですが、原爆投下直後には多くの被災者が避難してきたそうです。 しかし、彼らはこの庭園で亡くなり、庭園内に埋葬されたそうです。
(その後、彼らの遺骨は収集されて原爆供養塔に収められたそうです。) ここは、そのような悲惨な現場でもあり、悲劇が繰り返えされない事を願います...。