静岡県 浜松城2019年03月21日

約3年ぶりの浜松城再訪です。
当時は続100名城のスタンプラリーが始まって無かったので、今回はスタンプを押す為の再訪になります。 駐車場は前回と同じく浜松城公園駐車場を使用しました。
訪問当日は思ったよりも強い雨で、祝日にもかかわらず駐車場はガラガラでした。 バイク用の駐車スペースは貸し切り状態です。
浜松城公園駐車場

鉄門跡付近
昔はこの付近に本丸への入り口となる「鉄門」があったようですが、当時の面影がほとんど残って無いので実際の場所は判断出来なかったです。 3月末にはプレートを設置する予定らしいです。 鉄門は1872年(明治5年)までは現存していたようで、扉に鉄の部材が使用されていた櫓門だったと推定されています。
浜松城・鉄門

鉄門跡付近では、堀尾吉晴時代(1590年代)と推定される石垣を見る事ができます。
この石垣は 2014年の発掘調査で発見されました。
豊臣秀吉の家臣だった堀尾吉晴は関東に移封された徳川家康の後に浜松城に入ります。
吉晴は秀吉の死後は家康に近づき、1599年には次男の忠氏に家督を譲って隠居します。 忠氏が出雲国富田に移った後は譜代大名が入れ替わり浜松城に入ったようです。
浜松城・石垣

多分、今いる場所は清水曲輪付近で、そこから本丸の石垣と天守を眺めています。
家康の時代は土塁による「戦国時代の城」だったようです。 今見ている風景は堀尾氏以降の風景に近いのかも知れません。
浜松城・本丸石垣

二ノ丸
本丸から下を見ると、その辺りが二ノ丸があった場所になります。
現在は市役所や元城小学校の体育館として使用されています。 二ノ丸には城主の御殿があり、藩政の中心地だったようです。
浜松城・二ノ丸

天守門
堀尾氏が建てたとされる天守は本丸とは別の区画である天守曲輪にありました。 天守門は本丸から天守曲輪への出入り口になります。
天守門は安政地震の被害も少なく明治時代まで存在していたようですが、1873年に取り壊されました。 現在の門は 2014年に復元された物です。
浜松城・天守門

浜松城・天守門

浜松城・天守門

天守
家康が城主だった時代には天守は無く、堀尾氏に天守は建てられました。 その天守も江戸時代初期には失われていたようです。
現在の天守は 1958年に鉄筋コンクリート製で再建された物で、内部は博物館として使用されています。
浜松城・天守

天守台の入り口となっているこの辺りの石垣には付櫓があったようです。
続100名城のスタンプは天守受付付近にありました。 天守の再建60周年記念との事でチケットが天守のポストカードになっていました。
浜松城・天守

天守最上階から東側を眺めた所です。
奥にあるグラウンドの辺りが二ノ丸があった場所です。 左側から曲輪の突き出た部分には富士見櫓があったそうです。
赤い社は天守門の先にある稲荷神社です。
浜松城・天守からの眺め

反対側の西側を眺めた所です。
下に見えている石垣が埋門跡(うずみもん)で、天守曲輪の裏口になる部分かと思います。
今回の再訪は続100名城のスタンプだったので、そろそろ先に進みましょう。
浜松城・天守からの眺め

稲荷神社
天守門内部を見学していると、奥のほうから稲荷神社が見えました。
三方ヶ原の戦いで犀ヶ崖の崖に橋に見立てた布を張り、武田軍の兵を転落させて一矢報いたとの話があります。 稲荷神社を崇敬していた家康は、お稲荷様のご加護として浜松城内に千代吉稲荷として祀ったそうです。 出世稲荷としてご加護があるとの話もあります...。
浜松城・稲荷神社

八幡台
天守台の北西にある石垣です。 昔はここに八幡大菩薩を祀る神社があったそうです。
稲荷神社だけだは無かったようですね...。 家康は信心深い人だったのかも知れません。
浜松城・八幡台

さて、次の目的地である井伊谷に向かいましょう...。
浜松城