佐賀県 佐賀城2019年04月30日

佐賀城の前身は天正年間(1573 ~ 1592)に築かれた村中城(佐賀龍造寺城)で、龍造寺氏の居城でした。
1584年、沖田畷の戦いで龍造寺隆信が島津氏に敗れ討ち取れると家臣であった鍋島直茂が実権を握ります。 1608年になると鍋島直茂、勝茂によって大規模な普請が行われました。
1726年に本丸を焼失しますが再建せずに二ノ丸で行政を行います。 その二ノ丸も 1835年に焼失してしまい、その後本丸御殿を再建しています。
佐賀城は明治4年(1871年)の廃城令で廃城になりますが、明治7年の佐賀の乱で占拠され、その騒乱によって多くの建物が焼失します。

佐賀城公園駐車場
駐車場はそれほど混雑していませんでした。 佐賀城の駐車場は佐賀レトロ館を挟んで反対側にもあるので、駐車スペースはそれなりに確保されているようです。
九州に到着して2日連続の雨なので、そろそろ晴れて欲しい所です...。
佐賀城公園駐車場

鍋島直正像
直正は第十代佐賀藩主でした。 本丸御殿を再建し、藩の財を政立て直しました。 また、西洋技術を取り入れて反射炉の建造を行い大砲の鋳造も行いました。 佐賀藩の近代化に大きな影響を与えた人物です。
世界遺産登録されている韮山反射炉の建造は、佐賀藩の技術協力を必要としているほどです。
佐賀城・鍋島直正像

鯱の門
1835年に二ノ丸が焼失すると鍋島直正は本丸の再建を開始します。 この門はその時に建てられた門で 1838年に完成しました。 屋根の鯱が立派です。
佐賀の乱の時に出来た弾痕が残っているそうですが、気が付かずにスルーしてしまいました...。 雨が降ると、どうしても散策が雑になります...。
佐賀城・鯱の門

天守台
初代藩主勝茂の時に五層の天守が築かれたようですが、1726年の火災で焼失し、その後再建される事はありませんでした。
登り口が見当たらず、天守台には登らなかったのですが、ちょうどこの反対側に上に登る階段があったようです。 まさか入り口が本丸の外側にあるとは思わなかったので気が付かなかったです...。
佐賀城・天守台

佐賀城・天守台

佐賀城本丸歴史館
奥に見える建物が、直正が再建した佐賀城本丸御殿を復元した佐賀城本丸歴史館です。
開館したのは 2004年で、佐賀藩の歴史に関する資料が展示されています。
100名城のスタンプはここの受付に置いてあります。
佐賀城本丸歴史館

佐賀城本丸歴史館

24ポンドカノン砲
日本初の鉄製大砲の鋳造に成功した佐賀藩は、幕府から50門の鉄製対応の鋳造を依頼されます。 それらは品川台場に設置されましたが現存はしていないようです。
これはアメリカから輸入された物を複製した物なので、当時鋳造した物とは異なるかも知れません。
佐賀城・24ポンドカノン砲

外御書院
外御書院は一之間から四之間までの4部屋とその脇に連なる畳張りの長い廊下で構成されています。 4部屋と廊下を合わせると 320畳もある大広間で、ここでは佐賀藩の公式な儀式などが行われました。
佐賀城本丸御殿・外御書院

佐賀城本丸御殿・外御書院

御座間
この部分は現存建物なので、見た目にも他より古く感じます。
御座間は天保年間(1831 ~ 1845年)に建てられた藩主鍋島直正の居住空間でした。
1958年に水ヶ江大木公園の南水会館として移築されてましたが 2004年に現在の場所に再び移築されました。
佐賀城本丸御殿・御座間

佐賀城本丸御殿・御座間

御殿を外から見て回ります。
ここが外御書院の外観。 とにかく長い建物です。
佐賀城本丸御殿・外御書院

御小書院
先ほどの外御書院の先を左折した先にあるのが御小書院です。
ここは身近な側近との打ち合わせなどが行われた場所です。
1849年には鹿島藩八代藩主鍋島直永の上京を祝って「能」が催されました。 鹿島藩は佐賀藩の支藩の一つです。 現在は企画展示室として使用されています。
佐賀城本丸御殿・御小書院

御座間
外観はそれほど古さを感じさせませんが江戸後期の現存建物です。 1909年には赤松小学校の校舎として使用されていました。
南水会館として移築された時にはだいぶ改修されていたようですが、基本的な構造には変更が入ってなかったので御座間としての復元が可能だったようです。
佐賀城本丸御殿・御座間

本丸西側の門
当時はもっと幅が狭かったらしく、通路の幅は 2m ほどしか無かったようです。
道路の色が少し変わっていますが、そこまで石垣が伸びていたようです。 ただ、発掘調査では門の跡は発見されていないようです。
この門を出て右側に行くとそこが天守台の入り口だったので、ここから帰っていれば本丸の入り口に気が付いたかも知れません...。
佐賀城・本丸西側の門

本丸西側の土塁と石垣
内側からみると土塁ですが、外側かみると石垣になっています。
幅が結構ありますが、多門櫓でもあったのでしょうか? 外側の芝生部分は多分、水堀だったのでしょう...。 
佐賀城・本丸西側の土塁と石垣

佐賀城・本丸西側の土塁と石垣

南西隅櫓台
美しい切り込みハギの石垣で、年代的にもだいぶ新しいと思われます。
この櫓台は本丸を再建した時に復元されたようで、1738年に幕府の許可を得て3年かけて築かれたようです。 色違いの石を亀甲積みにするなど、なかなか洒落た石垣です。
石垣からして立派な櫓だったのだと思います...。
佐賀城・南西隅櫓台

本丸南側の土塁と堀
かなり幅の広い水堀ですが、それに対して石垣や土塁がちょっと低い印象を受けます。
でも、これだけの水堀を備える城なので、そうとう立派な城だったのだと思います。
地図で見ると佐賀城の外堀は当時の様子を残している部分が多そうです。
佐賀城・本丸南側の土塁と堀

100名城、続100名城を巡っていると、品川台場、韮山反射炉、佐賀藩との繋がりを知る事が出来ました。 旅をしながらこう言った出来事を知るのも楽しいものです。


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