熊本県 熊本城2019年05月02日

現在の熊本城は 1601年に加藤清正によって築城されました。 1607年に完成すると地名も「隈本」から「熊本」に変更されます。
清正の子、加藤忠広が 1632年に改易されると細川氏が領主となり明治の時代まで続きます。
明治10年(1877年)には西南戦争の戦地になり、政府軍が籠城して西郷軍の攻撃に耐え抜きます。

熊本城へは島原からフェリーに乗って移動しました。
フェリー内ではアイスコーヒーを飲みながらのんびり過ごしました。
バイクは少なめでしたが連休中なので車両デッキは満車状態でした。
フェリー乗り場から熊本城への距離はたいした事無いのですが、道が分からず苦労しました。
バイクを二ノ丸駐車場のバイク専用スペースに駐車して散策を開始します。
熊本フェリー

熊本フェリー

2016年の熊本地震により、熊本城は甚大な被害を受けました。
あれから3年が経過しましたが、城内への立ち入りは制限されており、あちらこちらで修復作業が行われました。 この先に西大手櫓門がありますが通行禁止でした。
現在、100名城のスタンプは二ノ丸駐車場にある休憩所に置かれています。
熊本城・西大手櫓門付近

二ノ丸
連休中なので二ノ丸ではイベントが行われてました。
人が多かったのでそちらの方には行きませんでしたが、活気は戻りつつあるのかも知れません。 思っていたよりも観光客も多く安心しました。
熊本城・二ノ丸

本丸内に入る事は出来ませんが外から城の様子を伺う事はできます。
西出丸長塀に沿ってしばらく歩く宇土櫓、天守、小天守が見えてきました。
宇土櫓はダメージが少なそうですが、奥に見える小天守は凄い事になっています。 後でもう少し近くに行ってみましょう...。
熊本城・宇土櫓、天守、小天守

向かって左側の宇土櫓は普通な感じ。 右奥の小天守は...。
熊本城・宇土櫓、小天守

西出丸長塀の石垣も途中から完全に倒壊しています。
損害の規模が大きすぎるので、この辺りは手付かずのようです...。 被害は想像以上でした。
熊本城・西出丸長塀

熊本城・西出丸長塀

戌亥櫓
一見、「無事かなと」と思ったのですが、反対側から見ると凄い事になってました。
戌亥櫓はジェンガのようにギリギリに積み上がった石垣の上に辛うじて建っています...。
もう、この状態で3年も頑張っているようですが、補強とかしてあげた方が良いのではと思います...。 それとも、1本なくなっても大丈夫との判断なのでしょうか?
とにかく頑張って持ちこたえて欲しいです...。
ちなみに、戌亥櫓は 2003年に復元された櫓です。
熊本城・戌亥櫓

熊本城・戌亥櫓

戌亥櫓の方から加藤神社の方に進みます。
本丸の石垣が完全に倒壊して空堀に散乱しています。
どうやら西出丸周辺の石垣はかなりの被害が手ているようです。
熊本城・本丸の石垣

北大手櫓門跡
昔はここには北大手門と呼ばれる櫓門がありましたが、建物は現存せず石垣のみが残されてました。 この辺りの石垣は熊本地震による倒壊は逃れたのですが、石垣に亀裂や膨らみが発生しており危険な状態なので土嚢で応急処置されています。
熊本城・北大手櫓門跡

宇土櫓
近くまで来てみましたが宇土櫓は石垣を含めてほとんど無傷のように見えます。 実際は、壁や床が破損したり、続櫓の倒壊、石垣にも膨らみが発生しています。
宇土櫓は地上五階地下一階の巨大な櫓で、他の城だったら天守に匹敵しそうな櫓です。
宇土櫓は西南戦争でも被害を逃れた貴重な現存建物なので、被害がこの程度で済んだのは幸いでした。
熊本城・宇土櫓

加藤神社
加藤清正を祀った浄池廟がありましたが、明治の神仏分離令によって 1871年に社殿を建て錦山神社としたのが始まりのようです。 その頃の建物のほとんどは西南戦争で焼失しますが神社は 1884年に再建されます。 加藤清正を祀った浄池廟が始まりなので当たり前ですが御祭神は加藤清正公です。
熊本城・加藤神社

熊本城・加藤神社

天守、小天守
修復作業中なので近くに行く事はできませんでした。
熊本城の天守、小天守は西南戦争の直前に火災で焼失しています。 現在の天守、小天守は 1959年に鉄筋コンクリート製で復元された物でしたが熊本地震で大きな被害を受けました。
小天守は一度解体して軽量化して作り直す作業が行われています。 かなり大掛かりな工事のようです。
天守の方は被害は少なそうで、瓦や石垣の工事はかなり進んでいるようでした。
熊本城・天守、小天守

棒庵坂付近の石垣です。
棒庵坂の名称は、坂の下に下津棒庵の屋敷があったことからのようです。
石垣の被害は少なそうですが、よく見ると棒庵坂の下の方に大きな石がが転がっています。
また本丸側の石垣の塀が倒壊したのか上の方はシートで覆われています。
熊本城・棒庵坂

熊本城・棒庵坂付近

平櫓
江戸末期の現存建物のようです。 熊本地震で石垣が大きく膨らんでしまい、地盤沈下で建物にも被害が出ているようです。 解体修理の方針も決まっているようで、鉄骨によって石垣を押さえている予断を許さない状況でした。
熊本城・平櫓

不開門付近の様子。
熊本城で現存する唯一の櫓門で、普段は閉じられていた事から「不開(あかずの)門」と呼ばれていました。 不開門の櫓部分は倒壊、石垣部分の被害も大きく、立ち入る事が出来ません。 かなり大きな被害のようですが、元の姿に戻せるのでしょうか...。
熊本城・不開門付近

北十八間櫓
江戸時代に何度か修復されてましたが、築城当初から残る現存建物でした。
東十八間櫓と繋がっている多門櫓でしたが跡形もなく崩れ去っていました...。
倒壊した部材は回収して保存してあるそうなので、できるだけ当時の部材で復活させてあげたい所です。 貴重な現存建物が失われたのは残念です。
熊本城・東十八間櫓

熊本地震の影響が予想以上に大きかったのを知りました。 これでも震災直後よりはマシな方なのかも知れませんが、手付かずの被災現場が多い事も知りました。
まずは天守付近を優先しているようですが、その後も根気よく修復していく事になりそうです。
熊本城の訪問は迷ったのですが、現状を知れた事は良かったのかと思います。
熊本城・宇土櫓、天守、小天守


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