北海道 五稜郭(1)2019年08月21日

五稜郭は 1857年に築城を開始した西洋の星形要塞を参考にした要塞です。 日本の星形要塞は少なく、同型の城郭として長野県の龍岡城があります。 背景には日米和親条約による函館開港があり、海外の軍事力への脅威もあったのだと思います。
五稜郭は 1864年に完成しますが、予算不足により半月堡が一つしか築かれなかったりと規模が縮小されています。 1868年から始まった函館戦争の舞台となり、戦争終結後の 1871年にはほとんどの建物が解体され、大正時代以降は公園として利用されています。

都市部の城郭ではバイクを停める場所に苦労するのですが、五稜郭タワー近くの「函館市芸術ホール駐車場A」の出入り口付近にバイク用の駐輪スペースがありました。
こういった場所が確保されていると、ほっとしますね...。
五稜郭・バイク置き場

半月堡の水堀と一の橋
半月堡外側の水堀は、他の部分と比べると少し幅が狭いようですが、それでも立派な物です。
水堀の規模と比べると、石垣や土塁は低い印象を受けます。
一の橋は正面入り口を守る半月堡への入り口となる橋です。
五稜郭・半月堡の水堀

五稜郭・一の橋

半月堡
半月堡は、「馬出し」のような防御施設で、出入り口の前に配置されています。 また、本来は各陵堡間に配置して死角を無くしたり、十字砲火を浴びせる役割もありました。
予算不足により五稜郭では、半月堡は正面入り口のここ一カ所のみです。
外側からは土塁で遮られていて判りませんでしたが、内側にもう一つ土塁がありました。 こちらの方は外側の土塁と違って石垣で築かれています。 よく見ると、石垣の上段は人吉城で見た武者返しのような出っ張りがあります。
五稜郭・半月堡

五稜郭・半月堡

水堀
五稜郭全体を囲む水堀です。 最大幅は 30m あり、深さは 4 ~ 5m もあります。
1868年10月、旧幕府は鷲ノ木から上陸し、五稜郭を目指して進軍を開始します。 当時、五稜郭は新政府が使用してましたが敗走、以降、五稜郭は旧幕府軍の拠点となります。
五稜郭・水堀

本塁の石垣
五稜郭全体を囲む本塁の石垣です。 石垣なのは半月堡で隠されているこの辺りだけで、他の部分は石垣ではなく土塁で出来ています。 半月堡により砲弾が直撃しにくいからですかね...。 石垣は綺麗に加工された切り込みハギで築かれているので、年代的に新しい城である事を実感します。 よく見ると、この辺りの石垣にも武者返しが設置されてます。
五稜郭・本塁の石垣

五稜郭・本塁の石垣

門番所跡
正面入り口の虎口となっている場所を土塁の上から見た所です。
ここには門があり、その内側(正面石垣の下辺り)には門番所があったようで、建物跡も見つかっているようです。 建物の外には便所もあったそうな...。
五稜郭・門番所跡

函館奉行所売店
板庫(いたくら)と呼ばれていた板壁造の建物の外観を復元して建てられた売店です。
100名城のスタンプはこの売店に置かれているので、スタンプはここで押しました。
幅8間(14.544m)の建物だったようで、向かって右隣の土蔵よりは少し小さかったようです。
五稜郭・函館奉行所売店

土蔵
板庫(売店)の右隣にあるのが復元された土壁造りの土蔵です。
こちらは管理事務所として使用されています。
建物内は見てませんが、外観のみを当時風にした建物だと思います。 幅は10間(16.362m)でした。
五稜郭・土蔵

土蔵(兵糧庫)
板庫(売店)の左隣にある土蔵で、「兵糧庫」と呼ばれていたそうです。
こちらは五稜郭唯一の現存建物で、大正時代は資料館として使用されていました。
いつも公開されているのか不明ですが、訪問当日は建物内部が一般公開されていました。
五稜郭・兵糧庫

小土塁
先程の倉庫3棟は、それほど高くはありませんが小規模な土塁に囲まれています。
収納庫は他の建物よりも厳重に管理されていたのかも知れません。
五稜郭・小土塁

供溜腰掛跡
函館奉行所の向側にあった建物で、訪問者の従者が待機した場所でした。
身分が低い従者は奉行所内に入れなかったので、主人の帰りをここで待っていました。
幅5間(9.090m)、奥行1間半(2.727m)の、幅の狭い建物なので、雨風を凌ぐ程度の物だったのかも知れません。
五稜郭・供溜腰掛跡

函館奉行所
五稜郭内の函館奉行所官舎は 1864年に完成し、蝦夷地における政治の中心地になります。
明治維新後は新政府が使用しましたが、函館戦争で五稜郭が奪われると旧幕府軍の拠点として使用されます。 屋根の上にある太鼓櫓は砲撃の標的となってしまい、砲弾が直撃して死傷者が出ています。 櫓のような高い建物は近代戦では逆効果だったようです。
函館戦争後、函館奉行所は解体されてしまいましたが、2010年に現在の建物が復元されます。 
五稜郭・函館奉行所

建物は当時の文献資料を参考に可能な限り忠実に再現しています。
現在の建築基準法や消防法に適合されせる為、当時の1/3規模で復元されているようなので、これよりも3倍くらいは大きな建物だったようです。
ちなみに、ここは復元された当時のトイレです。
五稜郭・函館奉行所、内部

大広間
一之間~四之間からなる大広間で、各部屋は襖で区切られています。
年中行事など、特別な時にだけ使用された部屋だったようです。
五稜郭・函館奉行所、大広間

五稜郭・函館奉行所、大広間

函館奉行所内部を見学する前は雨が降っていたのですが、外に出た時は止んでいました。
雨が上がったので、五稜郭内部をもう少し散策してから五稜郭タワーに行きましょう...。


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