北海道 勝山館跡2019年08月22日

勝山館の正確な築城年代は不明ですが、館神八幡宮が 1473年に創建された記録がある事から 1470年頃と考えられています。
築城したのは武田(蠣崎)信広で、1457年に発生したコシャマインの戦いでアイヌ軍を破った人物です。 コシャマインの戦いでは道南十二館の内、10の館が落とされ先日訪問した志苔館も落とされた館の一つです。
1514年に信広の子、光広が拠点を松前に移すと中心的な存在から外れ、慶長年間(1596 ~ 1615年)には役目を終えて廃城となりました。

勝山館跡ガイダンスセンター
夷王山墳墓や勝山館の発掘資料なとが展示されている施設で、続100名城のスタンプもここに置かれています。 展示資料やビデオを見た後、ガイダンスセンターの裏側から勝山館跡に向かいます。
勝山館跡ガイダンスセンター

夷王山墳墓群
勝山館の裏側は600基の墓からなる夷王山墳墓群が広がります。 墓は武田氏一族や上ノ国を支えた人々の物と考えられています。
仏教様式で埋葬された墓が中心ですが、アイヌ様式と思われる物も存在し、勝山館にはアイヌ人も存在していたようです。 夷王山墳墓群は、ガイダンスセンターのすぐ裏側にあります。
夷王山墳墓群

ゴミ捨て場、埋葬場
ガイダンスセンターから少し歩くと搦手口付近に到着します。 思ったよりも近かったです。
搦手口から少し外れた場所にゴミ捨て場や埋葬場として使用されていた場所があります。
中央にある案内板の奥が埋蔵場で41基の墓が見つかっています。 案内版の手前側がゴミ捨て場だった場所です。 ゴミ捨て場と墓場が隣接しているのも気になりますが、ゴミ捨て場からも埋葬されなかった人骨が見つかっているそうです...。
勝山館跡・ゴミ捨て場

搦手口
空堀に架けられた木橋の先に搦手門がありました。 空堀はV字型の薬研堀です。
築城当時の空堀はもう少し手前側にあったようですが、その後、現在の場所に改修されたようです。
勝山館跡・搦手口

勝山館跡・搦手口の堀

館神八幡宮跡
搦手口を入ってすぐの場所にある神社跡です。 この神社が 1473年に創建された事から勝山館はその頃には存在していたと考えられています。
手前にある大きい方は 1770 年に修理した時の礎石跡のようで、奥にある小さい正方形の建物跡が室町時代に創建された時の物です。 どうやら、1699年に建替えが行われ、1875年に移築されたのが旧笹浪家住宅で見た上ノ国八幡宮本殿だったようです。
勝山館跡・館神八幡宮跡

通路を挟んで反対側にあった掘立柱建物跡です。
奥には土塁の上に登る用途なのか、階段跡もあります。
勝山館跡・搦手口付近の建物跡

勝山館の中央には1本の大通りがあります。
斜面は階段状に整備され、両脇には多くの建物跡が並びます。
奥には北海道の海が広がる素晴らしい眺めです。 天候が回復して良かったです。
勝山館跡

勝山館跡

勝山館跡

中央の櫓門
この辺りで幅 2.7m の間隔で正方形に配置された柱跡が見つかっています。 ここに見張り台のような大きな櫓門があったと考えられています。
中央通りの両脇には雨水などの排水を流す為の側溝もあります。
勝山館跡・中央の櫓門

馬屋跡
内部が6つの部屋に仕切られている建物跡で、手前の部屋からは馬の歯が見つかっています。 部屋がちょっと狭い感じがしますが、飼われていたのは日本の古代馬と同じ仲間のようで、今の馬よりも小さかったようです。
この付近には他よりも大きな建物が集中しており、勝山館の中心的な場所だったと思われます。 志苔館跡と比べると、勝山館の方がかなり大規模な砦です。
勝山館跡・馬屋跡

城代の住居跡
馬屋の隣にある建物跡で客殿の次に大きな建物です。 その大きさからも、城代、もしくはそれに準じる重臣の住居跡と思われます。
正面中央に玄関があり、居間、客間、寝室、台所ががあります。
勝山館跡・城代の住居跡

客殿跡
勝山館で最大の建物で、城主が使用していたと思われます。 場所的には城代の住居の隣になります。 発掘調査では高級な茶壷なども見つかっています。
また、客殿には専用の井戸もあったようで、深さは 5.2m ありました。
勝山館跡・客殿跡

勝山館跡・客殿の井戸

客殿の書院からは庭園が眺めらたようで、小砂利を敷き詰めた庭の跡が見つかっています。
庭の中からは平な小石を並べた場所も見つかっています。 池でもあったのでしょうか?
勝山館跡・客殿の庭

鍛冶工房跡
城主の居住区は板塀で囲まれていますが、その端の方には鎧などを修理したと思われる鍛冶工房の跡が見つかっています。
ここからは、鍛冶作業に必要な道具や小札(鎧に使用する板)、釘などが見つかっています。
勝山館跡・鍛冶工房跡

大手口付近
正面入り口を外側から眺めた所です。 木橋の先には門があったと思います。
外側の堀と土塁の落差はかなりあり、土塁の上には柵があります。 斜面もかなり急で威圧感があります。 空堀も二重になっており、厳重に防御されています。
勝山館跡・大手口付近

勝山館跡・大手口付近

勝山館跡・大手口付近

大手口の先にはもう一つ曲輪があるようなのですが、雑草が生い茂っていてあまり整備されていないようでした。 恐らくこの先を進むと旧笹浪家住宅に出るのだと思いますが、戻るのが大変なのでここで引き返す事にします。
勝山館跡

勝山館跡は、とにかく景色が素晴らしい場所でした。 旧笹浪家住宅、ガイダンスセンターのボランティアの方も丁寧に説明してくれて良かったです。


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