神奈川県 寒川取水堰~寒川神社2019年10月20日

取水堰とは河川から水を引き入れる施設です。 寒川取水堰は4門の取水ゲートから沈砂池へ水を取り込み、神奈川県、横浜市、横須賀市、および企業団に対して水を供給します。
魚道がある為、川を完全にせき止めるような事はしませんが、ローラーゲート式の3つの洪水吐水門と1つの土砂吐水門があります。

宮山駅から徒歩で寒川取水堰に移動する途中、寒川河川敷グラウンドの前を通ります。
先週の台風19でグラウンドは完全に水没していたようで、1週間たっても水が残っていました。
取水堰の職員の人は台風の時はどうしていたのだろう...。
寒川河川敷グラウンド

取水堰の近くは立ち入り禁止なので、グラウンド側からだと少し距離があって見にくいです...。
近くの神川橋からよく見えそうなのでそちらに移動します。
昔は対岸の平塚川には渡し舟で移動していたようです。 また、陸上交通が発達してなかった頃は相模川の上流と下流を結ぶ帆掛け船が行き来していたようです。
寒川取水堰

神川橋に到着。
川の水は凄く濁っており、この水量だと洪水吐水門と土砂吐水門は解放状態みたいです。
寒川取水堰が完成したのは 1964年ですが、水の需要に追いつかなかった為 1971年に取水施設が増強されています。 現在の取水量は毎秒 18.155 ㎥です。
寒川取水堰

寒川取水堰

土砂吐水門付近を見ると奥の方に、流芥(りゅうかい、枯れ木などのゴミ)避けのブイが連なっているのが見えます。 土砂吐水門の奥には水を取り入れる取水ゲートがあるので、ゴミが入らない為の対策だと思います。 また、この水門は堆砂を吐き出す為か、ほかの水門と形状が異なりますね..。
寒川取水堰

取水堰の左側に見えるのが魚道です。
寒川取水堰には2種類の魚道があります。 右側にあるのが階段式魚道で、鮎やウグイなどの比較的大きめの魚用です。 階段式魚道の隔壁の底には「うなぎ穴」と呼ばれる穴があり、蟹なども通れるようにしてあります。 左端にあるのが舟通しデニール式魚道で、阻流板と呼ばれる板が中央にあり、側壁には休憩プールがあります。 こちらの方が小さな魚を対象にしている感じがします。
中央にあるのが呼び水水路で、両脇の魚道に魚を誘導します。
寒川取水堰

魚道を魚が通る事は鳥たちも理解しているようで、沢山の鳥が待ち構えています...。
寒川取水堰

水道記念館
ダムカードを配布している水道記念館に移動します。 徒歩だとちょっと距離がありますね...。
水道記念館は神奈川県の県営水道50周年を記念して設置された資料館で、水をテーマにした体験型の資料館です。 ただ、大人一人だと、ちょっと場違いな感じがしたのでダムカードをもらってすぐに退散します...。
神奈川県水道記念館

出入口付近に展示されていたのは送水ポンプで、この資料館で使用されていた物。
神奈川県水道記念館・送水ポンプ

公園の敷地内にあった水道記念碑。
日本最初の広域水道として 1933年~1936年(昭和8年~昭和11年)に神奈川県営水道事業が行われました。 これは、その完成を記念して建てられた記念碑です。
日本最初の広域水道だったのですね...。
神奈川県水道記念館・水道記念碑

寒川神社
ここまで来たら寒川神社に参拝してから帰る事にします。
この道路にかかる大きな鳥居が二之鳥居です。
ここに鳥居があると言う事は、昔はこのあたりも神社の境内だったのでしょうか?
寒川神社・二之鳥居

神池橋と三之鳥居
ここが神社の入り口になります。 寒川神社の創建年代は不明ですが、総国風土記の「雄略天皇の御代に板幣帛を奉納せられた」との記載が正しければ、雄略天皇の在位期間は 456 ~ 479年なのでその頃なのかも知れません。
武士からもあつい信仰を受けていたようで、源頼朝や武田信玄らも奉納していたようです。
寒川神社・神池橋と三之鳥居

立派な神門です。
1995年に建てられた物です。
寒川神社の事は何も知らなかったのですが、神奈川県では鶴岡八幡宮に次いで2番目に初詣参拝者が多い神社のようです。 もっとこじんまりとした神社を想像していたので予想外でした....。
寒川神社・神門

社殿も物凄く立派です。
御祭神は寒川比古命と寒川比女命の2柱です。 恐らく古事記とかには名前が出てこない神様だと思いますが、相模国を中心に関東地方を開拓した神様のようです。 古くからあるこの地方の信仰に関係がある神様と言った所でしょうか?
七五三祝いの参拝者が凄く多い中、自分も参拝して今回の散策を終了とします。
寒川神社・社殿

神奈川県のダムカードもあともうちょい。