栃木県 唐沢山城跡(1)2020年09月21日

唐沢山城は栃木県佐野市にある、関東一とも呼ばれている山城です。
築城年代ははっきりしていないようですが、15世紀後半には佐野氏の居城であったと考えられています。 佐野氏は上杉謙信の傘下に入りますが、何度も離反して謙信の攻撃を受け、落城した事もありました。 その後、上杉氏から北条氏に乗り換えますが、1590年に豊臣秀吉の小田原征伐では秀吉側に付きます。 また、1600年の関ヶ原の戦いでは徳川側に付き、佐野氏は存続し続けます。
1602年に佐野城に拠点が移ると唐沢山城は廃城になります。

現在の唐沢山城は唐沢神社の境内になっています。
細い山道をバイクで登て行くと唐沢山レストハウスの駐車場にたどり着きます。 バイクはここの駐車場に止めて唐沢山城の散策を開始します。
ちなみに唐沢山レストハウスがある場所は、蔵屋敷と呼ばれていた場所のようです。
唐沢山神社・駐車場

駐車場から唐沢山神社に向かうと最初に出てくるのが、食い違い虎口と舛形になります。
現在の石垣は最近の物にも見えますが、不自然に折れ曲がった通路は、当時の虎口や枡形の形状を今に残してるのだと思います。
唐沢山城・食い違い虎口

天狗岩
虎口のすぐ横には天狗岩と呼ばれている岩場があります。
「大険山」とも例えられる岩山で、ここに物見櫓があったとの説があります。
階段があるので登って行くと途中に小さな社がありました。
ここからの見晴らしは素晴らしく、物見櫓があったと伝わるのも頷けます。
唐沢山城・天狗岩

唐沢山城・天狗岩

唐沢山城・天狗岩

食い違い虎口の奥の方にある大手口付近。
ここには唐沢山城の案内パンフレットが置かれているので、持っていく良いかと思います。
唐沢山神社は、1883年(明治16年)に創建された神社です。 唐沢山城の城主であった佐野氏は 1614年に改易になり、この地を離れます。 明治維新後に故郷に戻ると、地元有志などの努力もあり、唐沢山城跡地に唐沢山神社が創建されました。
唐沢山城・大手口

大炊の井
深さ 9m、直径 8m (パンフレットでは何故か逆。 どっちが正しい?)もある、井戸というより池のような大きな井戸です。 築城の頃からある井戸のようで、一度も枯れた事がないそうです。
唐沢山城・大炊の井

四つ目堀
何気ない境内の道路ですが、城の西側を分断する大きな堀切です。
古地図には「堀口5間(約 9m)、深さ2間(約 3.6m)との記載があるそうです。
先に城の西側を散策する事にします。
唐沢山城・四つ目堀

避来矢山
城の西側は「避来矢山」と呼ばれており、階段を登って行く途中にある平地は昔の曲輪跡です。
2~3段ほどの曲輪の上に武具土蔵があったようですが、現在は霊廟が建てられています。
唐沢山神社の創建以来、功績のあった方を祀る霊廟のようです。
藤原秀郷には百足を退治した伝説があり、その時、龍神から贈られた鎧の名前「避来矢の鎧」が由来のようです。 佐野氏は秀郷の系統との事。
唐沢山城・避来矢山

唐沢山城・避来矢山霊廟

神橋
避来矢山から大手道の方に戻ります。
四つ目堀に架かる神橋です。 城として機能していた頃は曳橋で、緊急時には橋を落せる構造だったようです。 現在の橋は、大正 15 年(1926年)、後の昭和天皇ご成婚記念として寄贈されました。
橋を渡る前に南城の方を散策します。
唐沢山城・神橋

西城
天徳寺丸とも呼ばれていた場所のようです。
佐野房綱は天徳寺宝衍、天徳寺了伯の別名があるので、「天徳寺丸」はそれに関係しているのかも知れません。
現在は建物が建てられており、自由に歩き回る雰囲気では無かったので、水琴窟の音だけ楽しんで引き返す事にします。
唐沢山城・西城

唐沢山城・西城の水琴窟

帯曲輪
神橋を渡って少し進むと左側に三の丸側に通じる横道が現れます。
横道に逸れて、先に三の丸方面に進みます。
階段を登った先にあったのが三の丸下にある帯曲輪です。 古地図では、三の丸を含めて帯曲輪としているようですが、現在では区別して呼ばれているようです。
四つ目堀と三の丸の中間にある、防御機構としては重要な曲輪だったと思います。
唐沢山城・帯曲輪へ

唐沢山城・帯曲輪

三の丸
帯曲輪から階段を登ると三の丸に出ます。
かなり急な斜面ですが、これは人工的に削られた切岸のようです。
切岸は、敵が登れないようにする為に作られた人工的な崖です。 一部石垣が残っているようですが、石垣には気が付かなかったです。
唐沢山城・三の丸から帯曲輪を見る

三の丸は、唐沢山城の中では大きな曲輪で、ここには賓客用の応接間があったそうです。
今は綺麗に整地されており、公園のグラウンドのようでした。 ここから二の丸に入る事もできますが、一度、大手道に戻ります。
ちなみに写真中央の黒い物体は、昼寝しているネコです。
唐沢山城・三の丸

三つ目堀
唐沢山神社の参道は唐沢山城の大手道だった場所だと推定されています。
その大手道を進むと左側の斜面に三つ目堀と呼ばれる竪堀が見えます。 竪堀は大手道を分断するように配置されているので、昔は大手道のこの辺りに橋があったのかも知れません。
三つ目堀の呼び名は、唐沢山城は東側から一つ目堀、二つ目堀と堀が並ぶので、単に「東から3つ目の堀」と言う意味だと思います。
唐沢山城・三つ目堀

南城
蔵屋敷、武者詰とも呼ばれいたようです。 周辺は石垣で築かれています。
ここには社務所があり、続100名城のスタンプはここに置かれています。
ここにも数匹のネコが戯れていました。
なかなか人懐っこいネコで、麓のレストハウスではネコの餌も売ってました。 ネコ目的でここに来る人も多いようです。
唐沢山城・南城

ネコの餌、レストハウスで買ってきてあげれば良かったですね...。
唐沢山城・ネコ

ここから直接唐沢山神社に行く事もできますが、二の丸を経由する事にします。
唐沢山城・拝殿入り口