神奈川県 安国論寺2021年03月06日

衣張山ハイキングコースの終着点、名越切通しの近くにある安国論寺を拝観していく事にします。
その途中にあったのが鎌倉五名水の一つ「日蓮乞水」です。
「日蓮乞水」は、喉が渇いた日蓮が杖を突くと水が湧き出たと伝わる井戸です。
井戸には石碑が建っており、花が綺麗に添えられている事から、今でも神聖な場所として守られているようです。
日蓮乞水

安国論寺
安国論寺は 1253年に日蓮が開山した寺院と伝わります。 ただ、実質的には弟子の日朗が創建した安国論窟寺が始まりのようで、後に要法寺と一つになって安国論寺になったようです。
日蓮が鎌倉で布教活動を行う拠点だったと伝わる場所で、日蓮はここで「立正安国論」を執筆して鎌倉幕府に提出しました。 「立正安国論」は鎌倉幕府からは無視され、法然の専修念仏を批判した事から 1260年に焼き討ちにあいます。

山門
現在の山門は 1746年に尾張徳川家が寄進した物です。
特に受付とかは無く、拝観料を自分で箱に入れて中に入ります。
自分以外に拝観者はいません。 非常に静かです...。
安国論寺・山門

本堂
現在の本堂は 1962年に再建されました。 わりと最近の建物のようです。
本尊は「十界大曼荼羅御本尊」です。 どうやら、「十界大曼荼羅御本尊」は仏像では無く、漢字や梵字で書かれた文字のようです。
他の寺院と比較するとちょっと変わっている印象を受けますが、日蓮宗では普通なのかも知れません。
安国論寺・本堂

本堂近くの石仏と仏足。
穏やかな表情です。
安国論寺・石仏

安国論寺・仏足

御小庵
本堂と向かい合うような場所にある建物で、1845年に尾張徳川家によって再建されました。
訪問時は気がつかなかったのですが、この建物は御法窟と渡り廊下でつながっているようです。
日蓮は、この御法窟で「立正安国論」を執筆しました。
安国論寺・御小庵

熊王殿
1994年に再建された熊王稲荷大明神を祀る社です。 御小庵の隣にあります。
日蓮に仕えた熊王丸が信仰する稲荷を祀ったのが熊王稲荷のようです。
安国論寺・熊王殿

日朗上人茶毘所
日朗は日蓮の弟子の一人で、1320年に亡くなります。
日蓮が龍ノ口法難で佐渡に流罪になると日朗も幽閉されます。 また、日蓮が許されると日朗は日蓮に会いに佐渡に8回渡ったとされる人物です。 その後も後進の為に尽力しました。
日朗の遺言により、遺体はこの地で荼毘に付され法性寺に葬られました。 この御堂は 1982年にそんな日郎の為に建立されました。
安国論寺・日朗上人茶毘所

南面窟
1260年、安国論寺が焼き討ちにあった時、日蓮が白猿に連れられて難を逃れたとされる場所です。
多分、衣張山ハイキングコースで通った「お猿畠」の逸話と繋がる話だと思います。
安国論寺・南面窟

南面窟側から富士見台の方に通じる道がありますが、あまり整備されている感じがしなかったので途中で引き返しました。
富士見台へは熊王殿の方からも登れたようですが、今回は諦めました。
安国論寺

ここは、日蓮の「立正安国論」をきっかけに発生した焼き討ち事件「松葉ヶ谷法難」が発生した場所です。 鎌倉時代に発生した著名な宗教対立の舞台ですが、今は静かな場所でした。


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