東京都 旧甲州街道 ― 2021年07月23日
前回、小仏峠から高尾山に登った時、小仏峠を通って相模湖側に抜ける道が旧甲州街道である事を偶然知りました。 今回はそのルートを実際に歩いてみて、昔の人がどんな感じで甲州街道を歩いていたのか体感してみる事にします。
高尾駅
今回の出発地点です。
ここから小仏峠を越えて相模湖駅を目指します。
小仏峠の登山口までは、ここからバスで移動する事も可能ですが、途中の小仏関跡も寄りたいのでここから歩く事にします。
高尾駅から現在の甲州街道である、国道20号を相模湖方面に歩くと「西浅川」の信号が見えてきます。 目立ちませんが、右側の少し細い道が旧甲州街道です。
現在の大垂水峠を越える甲州街道(国道20号)は、明治21年(1888年)に新しく作られた幹線道路になります。
高尾駒木野庭園
昭和初期に建てらた住宅で、現在は高尾駒木野庭園として公開されています。
建物1階部分と庭園を無料で見学する事が可能です。 今回は開園時間前だったので門が閉じてました。
「いちょう祭り」や「高尾梅郷うめ祭り」の時に良く立ち寄るのですが、コロナ過になってから入ってませんね...。 大抵、歩くのに必死なので、一度くらいは1階のカフェで休憩したいです。
小仏関跡
小仏関跡は天正年間(1573 ~ 1592年)に北条氏照が小仏峠に設置したのが始まりのようです。 北条氏が滅亡後に徳川家康が関東に入ると、関所を現在の場所に移して整備しました。 明治2年(1869年)に関所が廃止されると、建物も取り壊されてしまい、当時の遺構はほとんど残ってません。
関所の手前には「駒木野」の地名にもなった橋があったようです。 現在、川は地下を流れているようで、道を歩いていても橋の存在は分かりません。
現在は公園になていますが、多分、この辺りに関所の番所などがあったのだと思います。
関所は午前6時から午後6時まで通行可能で、地元民は関所で働いていた事もあり、比較的自由に関所を通っていたようです。
駒木野宿跡
公園の中には「駒木野宿」の碑がありました。
関所の両側には「駒木野宿」と呼ばれる小さな宿場があったようですが、その痕跡はほとんど残ってません。 特に、現在の甲州街道が整備されると、ここを通る人は極端に減ったと思うので、宿場の消滅は自然な流れだったのかも知れません。
いのはなトンネル列車銃撃慰霊碑
前回小仏峠から高尾山を登った時の帰り道、蛇滝口のバス停でバスを待っている時に偶然ここの存在を知りました。 バス停から少しJR中央線の線路の方に入った所にあります。
1945年、8月2日の八王子空襲で不通になっていた中央本線が復旧した3日後に事件は起こります。 新宿から長野に向かう満員状態の列車を P-51 が機銃掃射し、死者 52名、重軽傷者 133名の犠牲者が出ました。 遺体は近くの小屋に運ばれ、また、乗客のほとんどは非戦闘員でした。 銃撃事件自体は知っていたのですが、場所がここだったのは知りませんでした。
旧甲州街道を更に進むと、歴史を感じる高架橋が現れます。
古い煉瓦作りで、今でもこの上を中央本線の列車が通過します。 八王子~上野原間が開通した頃からの高架橋かも知れません。
小仏バス停
ようやく、バスの終着点、小仏バス停に到着です。
高尾駅からここまでバスで来れますが、色々と見所もあったので歩いて良かったと思います。
小仏峠の登山口までは、もう少し舗装道路を歩く事になります。
ようやく舗装道路の終着点です。
ここまで直射日光を浴び続けていたので、木陰に入ると安心します。
当然、当時の甲州街道は未舗装だったので、この辺りの方が当時の様子に近いのでしょうか? 登り始めた時間が遅いせいか、前回よりも人が少ないです。
小仏峠へは、つづら折の山道を登る必要があります。 この辺りまで来ると、「街道」と言うより、ただの山道です。 この道だと、荷物を積んだ馬を引く事は可能かも知れませんが、荷車を引くのは無理っぽいですね...。
大量の荷物を運ぶ場合は何往復もしたのかも知れません。 治安も良かったのかどうか...。
小仏峠
北条氏の頃は、ここに関所があったんですね。 江戸時代の関所と違い、戦国時代は敵の動きを見張る場所的な要素の方が強かったのかも知れません。
前回の訪問時空いていたのですが、今回は休憩場所の空きが無かったので、軽く休憩して先に進む事にします。
ここから相模湖方面に下った先が小原宿になります。
ひたすら、こんな感じの山道を下ります。 蚊がやたらと多いので休む事も出来ません。
すれ違うのはトレイルランナーのような人ばかりで、高尾山のような普通のハイカーは皆無です...。 わざわざ相模湖側から登る人も少ないでしょうから、人気の無いコースなのかも知れません。 小仏峠にあった案内には、「中峠茶屋跡」の記載がありましたが、まったく気が付きませんでした。 街道と言うより、完全に山道です。
歩いてみた感じ、相模湖側から登る方が大変かも知れません。
ようやく、浅川相模湖線(県道516号)に出ました。
なにやら、大規模な工事をやっているらしく、工事関係者の車両だらけでした。
浅川相模湖線を少し下った先を折り返すような道が旧甲州街道なのですが、工事関係者が多いので通行を諦め、そのまま浅川相模湖線を下る事にします。
まぁ、旧甲州街道も浅川相模湖線に合流するのですが...。
これと言った見所も無く、ダラダラと県道を下ると現在の甲州街道、国道20号に出ます。
結局、蚊が多くて休憩が取れなかったので、ここで昼食として買ったおにぎりを食べる事にします。 ここまで歩くと結構、疲れますね...。
小原宿は、もう少し先です。
小原宿本陣
神奈川県で現存する本陣はここだけのようで、貴重な建物のようです。
甲州街道沿いなので、昔から存在は知ってましたが駐車場が無かったので立ち寄る事はありませんでした。 駐車場、あるのかな?
本陣は地元の名家、清水家の建物です。 正確な築年代は不明なようですが、江戸時代後期の物と推定されています。 内部の見学も可能なようですが、コロナ過なので建物外からの見学にしておきました。
相模ダム
相模湖の方に歩き始めると、以前ダムカードを貰った相模ダムが見えてきました。 コロナのせいでダムカード集めも進んで無いですね...。
ここからダムまで歩くと、ちょっと大変なので今回はここから眺めるだけにしますが、最後に相模湖を見てから帰る事にします。
相模湖
炎天下の中、ようやく相模湖の到着。
とにかく暑かったのでソフトクリームを買って食べます。
相模湖の売店には射的場があったりと、昭和の観光地の雰囲気が残っていて大好きです。
この感じが残り続ける事を願います。
相模湖駅
本日の最終目的地、相模湖駅に到着。
歩いたのは一駅なのですが、普通の一駅とは比べ物にならない大変さです。
今回のルートを昔の人は普通に歩いていたと思うのですが、現代人にとっては大変なルートです。 コロナ過で運動不足な事もあり、体力がだいぶ落ちてますね...。
最近のコメント