滋賀県 八幡山城 ― 2021年11月20日
八幡山城は滋賀県近江八幡市にある続100名城の一つです。
羽柴秀吉の甥である秀次の居城として 1585年に築城されました。 1591年に秀次が清州城へ移封されると京極高次が入城します。 1595年、有名な秀次事件で秀次が切腹させられると京極高次は大津城へ移され八幡山城は僅か10年で廃城になります。
戦乱の時代が終焉に向かう中、迷走する秀吉に翻弄された城だったのかも知れません。
八幡山城へは八幡山ロープウェイで登ります。
バイクは日牟禮八幡宮の駐輪場に停車しました。 駐輪場は神社入り口の白雲橋を渡った先にあります。 訪問当日は七五三の参拝者で混雑していました。
八幡山城は歩いて登る事もできますが、そんな事はしません。 迷わずロープウェイを使います。
タイミングが良かったようで、順番待ち無しで乗る事ができました。
降りてきた時は行列が出来てたので、タイミングが良かったようです。
続100名城のスタンプは山頂駅にあり、今回の山城は楽ちんでした。
山頂駅を出ると、美しい紅葉のお出迎え。
この光景は想定外だったので、うれしい誤算です。
ライトアップも行われていたようですが、そこまで滞在する体力が無かったので今回は諦めます。
ちなみに、ロープウェイの山頂駅付近は昔は二之丸だったようです。
おねがい地蔵堂
1967年から本丸跡は村雲門跡瑞龍寺の敷地となっているようです。
このお寺、秀次の母(秀吉の姉)の日秀尼が秀次を弔う為に開基しました。 なので八幡山城と無関係と言う訳では無さそうです。
秀次の切腹は謀反を企てた事や暴虐行為が原因とされてますが、正確な所は分かって無いようです。 個人的には秀頼が生まれて邪魔になったと考えるのが自然に思えます。 秀吉の弟である秀長がもう少し長生きしてたらもう少し違った展開があったのかも知れません。
おねがい地蔵堂から山門の方に向かいます。
山門
山門のある付近は二之丸から本丸に入る虎口だった場所のようです。
瑞龍寺は1596年に京都に創建された寺院ですが、1788年には火災で焼失しています。 京都から移築した建物だとしたら、江戸時代中期の建物なのかも知れません。
石垣とかは、八幡山城の頃の物が使われているのかも知れません。
本堂
昔本丸だった場所には瑞龍寺の本堂が建てられています。
拝観可能だったので庭や屏風も見学させてもらいました。 舞台が設置された石庭は、禅寺にあるような物と言うより、城の御殿にあるような雰囲気でした。
本丸周辺の石垣を眺めながら北之丸だった場所に移動します。
思ったよりも加工されていない石材が目立ちます。
隙間から木が生え出てますが強度的に大丈夫でしょうか? 見た感じの雰囲気としては、城があった当時の石垣に思えます。
北之丸
本丸と比べると、それほど広くは無さそうです。
眺めが良いです。 奥に見える湖が西の湖。 その奥の山に安土城がありました。
秀次も、ここから眺めたのかな...。後の悲惨な末路を知っているからかも知れませんが、秀次はここに居た頃が一番良い時だったのかも知れません。
西之丸に移動する途中で振り返った所。
本丸の石垣が良く見えます。 石は加工されてますが、荒い加工ですね。
本堂裏に鎮座していた龍神堂。
案内を読むと、大杉龍神の痛みが酷かったので 1987年に現在の祠を建立したようです。
八幡山の守護神のようです。
廃城跡の紅葉は、少し寂しげでもあります。
西之丸
ここからは琵琶湖が良く見えます。 琵琶湖周辺は干拓された農耕地が多いせいか、石庭のような独特な風景です。
訪問当日は気が付かなかったのですが、西之丸から出丸へのルートがあったようです。 どうやら出丸へ行きそびれたようです。
山城もロープウェイあると楽ですね...。
たまには、こういうお手軽な城跡巡りも良いかと...。
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