広島県 郡山城(1)2022年05月02日

広島県安芸高田市の郡山城は、毛利氏の拠点だった山城で日本100名城の一つです。
全国に「郡山城」は多数存在するので、区別する為に吉田郡山城と呼んでいる場合も多いです。
郡山城の築城は諸説ありますが、その一つが14世紀中頃に毛利時親によって築城された説です。
1523年に毛利元就が入城しますが、その頃の毛利氏は数ある国人の一人で、それほどの力は無く、城の規模も小さかったようです。
城が大幅に拡張されたのは、1540年に尼子詮久が侵攻してきた時より後のようです。
1591年に広島城が完成した事により、毛利氏が拠点を移すと拠点としての役割を終えますが、1615年の一国一城令までは城として機能していたようです。

安芸高田市歴史民俗博物館
まずは、ここ、安芸高田市歴史民俗博物館で日本100名城のスタンプを押します。
ここには、郡山城の地図もあるので、先に訪問すると良いと思います。
毛利元就に関する資料以外にも、安芸高田市の古代から現代までの歴史が展示されています。
安芸高田市歴史民俗博物館

大通院谷川砂防公園駐車場
郡山城を散策する為、公園の駐車場に移動します。
ここより上にも小さな駐車場がありますが、満車だと面倒なのでここから歩く事にします。
吉田郡山城・大通院谷川砂防公園駐車場

伝元就火葬場
駐車場から少し博物館の方に戻った場所に、毛利元就が火葬されたと伝わる場所があります。
1571年、元就は75歳で亡くなります。 遺骸は大通院に移された後、ここに 18m 四方を小石で敷き詰めた火葬場を造り、荼毘に附されました。
吉田郡山城・伝元就火葬場

大通院谷遺跡
バイクを停めた駐車場と、上の小さな駐車場の間は砂防公園になっています。
ここは大通院谷とよばれており、毛利元就や輝元の時代と思われる武家屋敷などの遺構が見つかっています。 谷の名称である「大通院」は元就の曽祖父煕元の菩提寺だったらしく、寺はもっと谷の奥の方にあったと考えられています。
吉田郡山城・大通院谷遺跡

吉田郡山城・大通院谷遺跡

薬研堀跡
大通院谷の東側山裾に沿って郡山城の内堀と思われる薬研堀が見つかっています。
大通院はこの堀のもっと奥の方にあったと伝わるようですが、奥にあったのは広修寺とする説もあり、大通院がどこにあったのかは不明なようです。
谷の名前にもなってますし、元就を火葬したとも伝わる大通院なので、谷のどこかには存在していたのでしょう。
吉田郡山城・薬研堀跡

青山、光井山
奥に見える山が、尼子詮久が陣を置いた青光井山。
青光井山は、青山と光井山の総称で、向かって左側が青山、右側が光井山です。
今でも陣を置いた時の遺構が良く残っているそうです。
でも、思ったよりも距離が近いです。 多分、当時は木などは生えて無かったと思うので、お互いに人の動きまで見えたかも知れません。
吉田郡山城・青山、光井山

洞春寺跡
洞春寺は、毛利元就の三回忌に菩提寺として輝元が創建した寺院です。
毛利氏は、広島、山口、萩と拠点を移しますが、洞春寺も同じく移転します。
ここは、そんな洞春寺の原点であり、毛利元就や一族の墓所が残ります。
吉田郡山城・洞春寺跡

吉田郡山城・洞春寺跡

元就の墓所を抜けて先に進みます。
吉田郡山城

嘯岳鼎乕禅師の墓
嘯岳禅師は、博多に生まれ聖福寺で禅を学び、2度も明に渡って修行を積んだ禅僧です。
輝元が洞春寺を創建した時に洞春寺に招かれ住職となります。嘯岳禅師は 1599年に亡くなります。
この墓は、1788年、山口に移った洞春寺によって建てられました。
吉田郡山城・嘯岳鼎乕禅師の墓

郡山第1号古墳
こんもりと盛り上がっている場所が郡山第1号古墳です。
こんな山奥に古墳があるとは思いませんでした。
「第1号古墳」と言う事なので、他にも古墳があったのでしょうか? 気付きませんでした。
吉田郡山城・郡山第1号古墳

尾根沿いに歩いて本丸を目指します。
それほど急坂では無いのですが、結構、距離があります。
吉田郡山城

御蔵屋敷跡
郡山古城図に「御蔵」と書かれているのがここだと考えられています。
東西 20m、南北 30m ある広い曲輪です。
ここは、三之丸、釣井の壇、勢溜の壇への中継点のような場所になります。
かなり立派な石垣があったようですが、完全に崩れてしまっています。
吉田郡山城・御蔵屋敷跡

釣井の壇の方に行くと、大きな石が目立ちます。
多分、石垣に使われていた石材で、石垣は完全に崩れてしまったのでしょう。
石垣は残って無さそうですね...。
吉田郡山城・釣井の壇へ

釣井の壇
長さ 75m、幅 15m の細長い曲輪です。 姫丸壇と、御蔵屋敷の間にある曲輪です。
ここには直径 2.5m の大きな石組井戸があり、本丸近くにある重要な水源でした。
井戸は埋まってしまい水は出てないようですが、それでも深さは 4m ほどあります。
吉田郡山城・釣井の壇

吉田郡山城・釣井の壇

この先が姫丸の壇ですが、登山道崩落により通行禁止でした。
通れなくも無さそうですが、危険な事はしたく無いのでここで引き返す事にします。
吉田郡山城・姫丸の壇へ

御蔵屋敷跡の方まで戻ってきたのですが、ここから本丸方面に行くのに道にに迷います。
全体的に崩れている場所が多く、途中で位置関係を見失います。
とりあえず、通路らしき所を登ると開けた場所に出ました。 ここは何処?
後で地図と当時の記憶を比べると、三之丸の西側付近かと思います。
吉田郡山城

吉田郡山城



コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2022/05/02/9505460/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。