岡山県 備中松山城(1) ― 2022年05月04日
備中松山城の歴史は古く、1240年、この地の地頭となった秋庭三郎重信が臥牛山大松山に砦を築き、それが松山城の始まりとなります。 経緯は不明ですが、1331年頃に高橋九郎左衛門宗康が城主となり現在の天守がある辺りまで城が拡張されます。
その後、高氏、秋庭氏、上野氏、庄氏、三村氏へと城主が転々と変わります。
三村氏は前日訪問した備中高松城とも関係のある人物ですが、備中兵乱で毛利氏によって滅ぼされます。 関ヶ原の戦いまで毛利氏が支配しますが、江戸時代になっても城主が転々とします。
戊辰戦争では松山藩は朝敵とされますが無血開城し、その後の廃城令で廃城となります。
不便な場所だったので建物は解体されずに放置され荒廃しますが、地元の努力により城は修復され現在に至ります。
城見橋公園駐車場
松山城は、備中松山城登城整理バスが運行している時は城見橋公園駐車場からバスに乗って登城します。 土日祝日は、この駐車場からバスに乗って「ふいご峠」の駐車場まで登る事になります。
20分程度で歩いて登る事も可能ですが、ほとんどの人はバスに乗ってました。
大きな駐車場で、バイク用の駐輪スペースも用意されていたので良かったです。
思ったよりも大きなバスですが、ほぼ満員状態で「ふいご峠」まで登ります。
バスの中で武家屋敷とセットになっている登城券が販売していたので購入します。
コロナの移動自粛要請により、予定より2年遅れてようやくここまで来れました...。
中太鼓櫓跡
ふいご峠から遊歩道を登ると最初に見えてきたのが中太鼓櫓の石垣です。
ふいご峠を挟んて反対側には下太鼓之丸があり、太鼓で連絡を取り合っていたそうです。
登城路を見下ろす絶好の場所にある櫓です。
櫓台の上には何故か「上太鼓」の石柱が...。 (ここが中太鼓櫓で正しいと思いますが...。)
大手門跡
次に見えてくるのが大手門跡の複雑な石垣です。
この石垣群の一部は自然の岩盤が利用されており迫力があります。
石垣の構造が複雑すぎてイメージしにくいのですが、多分、この石垣の上に櫓門があったのでしょう。 結構な高所なので、これだけの資材の運ぶのも大変だったと思います。
大手門を通った先のすぐ右側に櫓門への階段があります。
多分、ここから大手櫓門に入る事が出来たのだと思います。
大手門を外側から見た時、左側にある石垣から眺めた所です。
奥に見える階段が前の写真の階段です。 ここから奥の石垣に乗っかるように大手門がありました。
大手門を通った先は突き当たりで、左側に直角に曲がっています。
恐らく、その曲がり角に小さな平場があるので(写真の中央付近)、そこが足軽箱番所があった所だと思います。 箱番所は、雨風を避ける程度の小屋みたいな物だったのかと思います。
二之平櫓跡
大手門を通った先を左に曲がり、その突き当たりにあったのが二之平櫓です。 (先ほどの写真を撮った場所から振り返った所です。)
奥に見える土塀が上の方にある二之平櫓まで連なっていました。
復元された部分と現存していた部分があり、段差で分かるようになっているとの事ですが、正直、判らないです。 この辺りが現存物かな?
三之丸
大手門の上にある曲輪です。 足軽番所、上番所がありました。
奥に見える石垣の上は厩曲輪です。 土塀は多分復元された物だと思います。
三之平櫓跡
三之丸の出入り口付近にあった櫓跡です。
先ほどの二之平櫓からここまで土塀が連なってました。
幅が思ったよりも狭いので、それほど大きな建物では無かった?
黒門跡
三之丸から二之丸の方へと進むと、黒門跡が見えてきます。
情報不足で、どんな門なのかは不明ですが、この門を通って二之丸に入ります。
周辺の石垣や石の階段が美しいです。
四之平櫓跡
黒門を通ると左側に四之平櫓がありました。
厩曲輪跡
四之平櫓の向側には厩曲輪があります。
ここは、荷馬を繋いでおいた場所でした。
ここからの眺めは良く、三之丸や大手門の方まで良く見えます。
防御施設としても利用価値の高い場所に思えます。
黒門を通り、さらに階段を登ると二之丸の石垣が見えてきます。
階段を左に曲がった所に二之櫓門があり、その先が二之丸になります。
二之丸は、今までの曲輪と比べるとかなり広かったです。
二之丸から本丸を眺めた所。
奥に見えるのが現存12天守の一つでもある備中松山城の天守です。
一番手前にある、本丸入り口の階段を見下ろす櫓が 1994年に復元された五之平櫓で、管理員の詰所として使用されています。
五之平櫓の左側に少しだけ見えるのが六之平櫓で、五之平櫓と同時に復元されました。
本丸の内側から六之平櫓を見た所。 中に入る事ができ、展示場として使用されています。
左奥に少し見えるのが五之平櫓。
2つの櫓の間にあるのが本丸南御門。 両側の櫓と一体化したような棟門です。 ここが本丸への正門だったのでしょう。
八之平櫓跡
本丸には他に七之平櫓、八之平櫓がありましたが、それらは復元されてません。
七之平櫓の方は存在自体に気がつかなかったです。 多分、六之平櫓の奥の方にあったのだと思います。 櫓の多い本丸です。
天守
現存12天守の中で一番高地に建てられた天守です。 2層2階の天守ですが、石垣の横に出入り口がある事から3層に見えます。 よく見ると、天守台の石垣は大きな岩の上に積まれています。
毛利氏の時代には天守は存在していたようですが、1641年から入城していた水谷勝宗が 1683年に天守を改修したのが現在の姿と考えられています。
小さな天守ですが、中央の大きな唐破風が印象的です。
いよいよ、貴重な現存天守の中に入ります。
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