新潟県 斐太遺跡2022年08月12日

鮫ヶ尾城の麓に斐太遺跡があったので、先にそちらを見学する事にします。
斐太遺跡は西暦3世紀前後の環壕集落跡です。 矢代山A地区、B地区、上ノ平地区、百両山地区がありますが、百両山地区は遊歩道が整備されてないので見学できません。
今回は「古代住居の丘」として整備されている上ノ平地区を見学する事にします。

鮫ヶ尾城址駐車場
駐車場の広さは十分です。 9:30 頃の訪問でしたが駐車場はガラガラでした。
ここから総合案内所に行く途中に斐太遺跡の上ノ平地区があります。
鮫ヶ尾城址駐車場

竪穴住居跡
竪穴式住居は地面を掘り下げて床を作成し、柱を立てて草木で屋根を作ります。
地面を掘り下げるのは防寒対策のようで、深さは地域によってだいぶ異なるようです。
北海道では背丈ほどに掘り下げている地域もあります。 この地域も豪雪地帯なので、深い竪穴なのかも知れませんが、遺構は埋戻して保存しているようです。
斐太遺跡・竪穴住居跡

周辺では多数の住居跡が見つかっています。 昔、ここで人々が生活していたんですね...。
斐太の弥生人も稲作をしていたようです。 また、土器やヒスイの勾玉なども発掘されています。
生活は大変だったと思いますが、現代人が思うよりも豊だったのかも知れません。
斐太遺跡・竪穴住居跡

斐太遺跡・竪穴住居跡

環壕跡
多分、他よりも少し溝のようになっている部分の事だと思います。
深さは 1m 位あったようです。
弥生時代~古墳時代の集落には、既に防御用の堀が掘られていた場合があるようで、斐太遺跡の空堀は全長 900m もあったようです。
それだけの備えを必要とする守る物があったと言う事でしょう。 それにしても、人類はそんな大昔から争い事を続けてるんですね...。
斐太遺跡・環壕跡

2009年に復元された竪穴式住居です。
これで豪雪地域の冬をすごすのは大変ですね....。
斐太遺跡・竪穴住居

斐太遺跡・竪穴住居

総合案内所
鮫ヶ尾城に登る途中に矢代山B地区があるので、総合案内所で続100名城のスタンプを押して登城を開始します。 総合案内所には鮫ヶ尾城の地図があるので先に行った方が良いです。
また、総合案内所の人が鮫ヶ尾城の入り口を詳しく教えてくれました。
ここにも「クマ注意」の張り紙が....。
そう言えば、クマにやられた武将とかはいなかったのでしょうか? まぁ、そういう事件があったとしても記録には残さないでしょうけど...。
斐太歴史の里・総合案内所

宮内池
この池に沿って進むと鮫ヶ尾城の登山口が見えてきます。
この池について説明している記事が見当たらないので、多分、昔の遺構とかでは無く近年に整備された溜池なのでしょう。
鮫ヶ尾城・宮内池

山城としては挨拶程度の山道を登ります。
しかし、年々、厳しくなります...。 こう言った旅がいつまで続ける事が出来るのか...。
鮫ヶ尾城

矢代山B地区
当初、ここが東二之丸跡かと思ったのですが、もっと下の場所でした。
ここが、斐太遺跡で最も多くの住居跡が見つかっている矢代山B地区です。 でも、不自然に平坦な場所なので、鮫ヶ尾城の曲輪としても利用されていたのかも知れません。
ここでは南北に2本の環壕が見つかっており、その西側に住居跡が集中しています。
ここは丘の上なので防御施設としては良いのですが、水場とも離れているので生活には不便に思えます。 何でこんな所に集落を築いたのか気になったのですが、発掘調査からも集落があった期間は短いらしく、一時的に避難したような場所なのかも知れません。
斐太遺跡・矢代山B地区

斐太遺跡・矢代山B地区

斐太遺跡はここまでです。
ここから先は、鮫ヶ尾城の遺構になります。