京都府 興聖寺 ― 2023年11月23日
京都府宇治市の興聖寺は 1233年に道元禅師が開いた寺院で、日本最古の禅宗寺院です。
開創時は京都深草にあったようです。
道元禅師は宋に渡り、如浄禅師の元で禅の修行を積んだ人物です。
道元禅師が越前に移った後の興聖寺がどうなったのかは、情報が見当たらなくて良く分からないのですが、1467年の応仁の乱以降には戦乱に巻き込まれて衰退していたようです。
そんな中、1645年に淀城主の永井尚政が宇治旭茶園に興聖寺を再興します。
今回は平等院からの移動なので、宇治川の浮島を渡って興聖寺に向かいます。
宇治川は結構急な流れなのですが、浮島の平等院側は、入り江のような形状になっており、川の流れがありません。 屋形船が何艘も停泊していました。
浮島十三重塔
写真に比較対象が写って無いので大きさが伝わり難いですが、高さが 15.2mもあります。
近世以前の石塔としては日本最大のようです。
浮島は 1286年に造られた人工の島で、魚供養と宇治橋の安全祈願として石塔が建てられました。 当然、この場所は水害の影響をモロに受けるので、石塔は何度も倒壊と再建が繰り替えされます。
しかし、1756年に洪水で倒壊した後は再建されませんでした。
1907年の発掘調査で砂の中から石塔の部材が見つかり、見つからなかった部材を補い翌年に再建されました。 再建するなら、場所を移した方が良さそうな気が...。
奥に見えるのが観流橋です。
興聖寺は橋を渡った先にあります。
石門
いわゆる「総門」ですね。
石材で出来た門の上に屋根を乗せたような、少し変わった感じがする門です。
1648年に建立されたようですが、最初からこのスタイルだったのでしょうか?
琴坂
坂の両脇を流れる水の音が、琴のようだと言う事から名付けられました。
本来は紅葉が美しい道なのですが、今年はこの時期でもあまり赤くなってませんでした。
このまま葉が落ちてしまいそうな感じです...。
何とかそれっぽく撮った一枚。
山門
竜宮城の門のような、ちょっと変わった形をした楼門です。 中国の影響でしょうか?
1844年に改築されているようなので、再興した時の外観とは異なるかも知れません。
楼門には、十六羅漢像が安置されています。
法堂
1648年に伏見城の遺構を使って建てられました。
本尊は道元禅師の自作と伝わる釈迦牟尼仏です。
ここの廊下の天井は、「血天井」で知られています。
関ヶ原合戦の少し前、鳥居元忠が籠城した伏見城は西軍に攻められ落城します。
法堂の天井は、伏見城が落城した時の血染め床板が供養の為に使われており、今でも手形や足形が残ります。
中央にある庭園も立派です。
大書院
1912年に建立された貞明皇后行啓の書院です。
ここの建物は、近代になってからの建物のようですね...。
開山堂
道元禅師や歴代住職を祀る御堂です。
道元禅師や歴代住職を祀る御堂です。
道元禅師は梅の花が好きだった事から、「老梅庵」とも呼ばれています。
1750年に、東禅院の大悲殿を移築した建物です。
東禅院は興聖寺の塔頭で、石門の近くにあります。
天竺堂への階段
御堂の前に狛犬がいて、お寺と言うより神社的な雰囲気です。
天竺堂は、興聖寺を再興した永井氏四代の坐像が祀られています。
僧堂
お坊さんが座禅したり、寝食をする生活の場です。
1648年に建立され、1702年に改修されたとの事。
秋葉堂
興聖寺の鎮守、秋葉三尺坊大権現を祀る御堂です。
知らなかったのですが、秋葉三尺坊大権現は実在の修験者みたいですね...。
防火の力があったようで、お寺を火災から守る為に祀られているのでしょう。
興聖寺には初めて来たのですが、思ったよりも大きな寺院でした。
曹洞宗最古の道場なので、もっと知名度があっても良さそうですが、永平寺の陰に隠れている感じなのかも知れません。
参拝者も多かったので、「知る人ぞ知る」と言った感じなのでしょうか...。
最近のコメント