神奈川県 稲村ヶ崎~満福寺、小動神社2024年02月11日

特にこれと言った目的はありませんが、何度かバイクで走った事がある七里ヶ浜沿いを、今回は歩いて散歩してみる事にします。 なので、今回はバイクは家でお留守番となり、電車旅となりました。

江ノ島電鉄、稲村ヶ崎駅を 8:20 にスタート。
稲村ヶ崎駅

日蓮袈裟掛松跡
いきなり海とは反対側に寄り道します。
駅から少し極楽寺駅の方に歩いた所にある、この石碑が日蓮袈裟掛松跡です。
ここは、日蓮上人が龍ノ口刑場に護送された時に袈裟を松の枝に掛けたと伝わる場所です。
袈裟を松の枝に掛けた理由を知らなかったので、「暑かったのかな?」位に思ってましたが、斬首されて袈裟が血で汚れないようにとの思いからだったようです。 死を覚悟しての行動だったようですね...。
日蓮袈裟掛松跡

十一人塚
稲村ヶ崎駅の方に引き返し、海岸へ向かう途中にあったのが十一人塚です。
1333年、新田義貞が極楽寺坂の切通から鎌倉に攻め入った時、北条側の反撃にあい新田氏一族の大館宗氏と家臣の11人が討ち死にしました。 それを弔う為に遺体を埋葬して十一面観音堂を建てた場所と伝わります。
鎌倉幕府が滅亡した時には多くの血が流れたので、鎌倉にはまだ知られていない、このような埋葬場所が他にも存在してるのかも知れません。
十一人塚

稲村ヶ崎
8:40、稲村ヶ崎に到着。 少し雲がかかってますが、遠くに富士山が見えます。
公園として整備されているので、地元と思われる方が多数、犬の散歩に来てました。
こんな場所が普段の散歩コースとは贅沢ですね...。
稲村ヶ崎

稲村ヶ崎

稲村ヶ崎の公園にあったローベルト・コッホ碑です。
この碑は、細菌学者コッホ博士の来日を記念して、こんど新 1000円札にもなる北里柴三郎が鎌倉市関係者と協力して建てた物らしいです。
以前は、もう少し東の霊仙山頂にあたyほうですが、地盤の関係から 1983年に現在の場所に移されたようです。 コッホ博士は北里柴三郎と鎌倉の霊仙山に登り、日の出や夕暮れの美しさを堪能されたらしく、帰国後まもなく亡くなった事からこの碑を霊仙山頂に建てたようです。
ローベルト・コッホ碑

行合橋付近
9:20 頃到着。 河口付近で獲物を狙う大きな鳥がいました。
近くに人がいてもあまり気にせずに、一生懸命獲物を狙ってました。
行合橋付近

行合橋付近

行合川 題目塔
田辺公園の方に少し寄り道をします。 公園付近にあるのが行合川 題目塔です。
日蓮を龍ノ口で処刑しようとした時、江ノ島の方から光の玉が飛んできて処刑が中断されたとの言い伝えがあります。 刑場での異変を伝える使者と、処刑の中止を伝える使者が行き会った場所が行合川だと伝わります。
神話に近い話なので実際の所、何があったのかを知る事は出来ませんが、何らかの理由で日蓮の処刑は中断され、佐渡への流罪に減刑されます。
行合川 題目塔

海岸沿いの国道に戻り先に進みます。
単線の江ノ電が複線になる部分。 本当に住宅地を縫うように走っている路線です。
最初からこんなだったのでしょうか? それとも、電車が通った後に住宅地化が進んだのでしょうか?
江ノ島電鉄線路

鎌倉高校前駅付近の踏切に着くと、何やら大勢の人が群がってました。
顔が写らないように縦アングルにしてますが、写真右奥にはもっと大勢の人がいます。
とにかく大勢の人が、踏切越しに海を撮影しています。
どうやらこの踏切にスラムダンクの聖地巡礼として観光客が押し寄せているようで、かなり異様な雰囲気になってます。 近隣住民とトラブルを起こさないように、マナーを守ってもらえれば良いのですが...。
鎌倉高校前駅付近の踏切

鎌倉高校前駅を過ぎた所で海岸に出てみます。
奥の方に江ノ島が見えます。 稲村ヶ崎からだいぶ歩いてきました。
七里ヶ浜

満福寺
平家との戦いで活躍した源義経ですが、兄頼朝からの許可なく後白河法皇から官位を賜った為、頼朝の怒りを買います。 義経は鎌倉入りを頼朝から拒否されてしまい、しばらくの間ここに滞在します。 ここは、義経が頼朝と和解する為に「腰越状」を書いたと伝わる寺院で、「腰越状」の下書きが残されています。
「腰越状」の「腰越」は、 満福寺があった地域の名称の事です。
それなりに有名な寺院なのですが、思ったよりも小さなお寺でした。
鎌倉・満福寺

鎌倉・満福寺

鎌倉・満福寺

小動神社
1185年に源平合戦で活躍した佐々木盛綱が、父祖伝来の近江国の八王子宮を勧請したのが始まりと伝わります。 1333年、新田義貞が鎌倉攻めの時に戦勝を祈願し、後に金品を寄進して再興します。
三神社、八王子宮よ呼ばれてましたが、明治時代に入ってから小動神社に改称されます。
御祭神は、建速須佐之男命、建御名方神、日本武尊です。
変わった名前の由来は、風も無いのに揺れる美しい松「小動の松」がこの岬にあった事からだそうです。
鎌倉・小動神社

小動神社・社殿

境内に入ると、摂社、末社が多い印象を受けます。
白い鳥居と赤い鳥居が並ぶのが印象的で、白い鳥居が金刀比羅宮、赤い鳥居が稲荷社です。 どちらも良く見かける神社です。
鎌倉・小動神社・摂社、末社

こちらは海神社。
場所的に、海や水に関係する神様が多いのかな?
鎌倉・小動神社・海神社

境内にあったのが、腰越八王子山遠見番所跡です。
1842年、川越藩は相州警備を命じられ、外国船を監視する為の番所を置きました。
ここは、その番所跡です。
鎌倉・腰越八王子山遠見番所

番所跡からの見晴らしは最高ですね..。
これなら外国船が来ても良く見えます。
鎌倉・小動神社・腰越八王子山遠見番所からの眺め

次回は今回の徒歩旅の目的地、龍口寺になります。