神奈川県 大巧寺、本覚寺 ― 2024年03月17日
大巧寺
JR鎌倉駅から若宮大路を挟んで正面にある寺院です。 今回、初めての訪問になります。
「おんめさま」の愛称で親しまれている、安産祈願の寺です。 創建年代は不明ですが、鎌倉時代初期には創建されていたと思われます。
1532年、日棟上人が難産で亡くなった秋山勘解由の妻を供養し成仏させた伝承が残ります。
それ以降、お産で苦しむ女性を守護する本尊として「産女霊神」を本尊として祀ります。
本堂は関東大震災で倒壊しており、現在の本堂は 1931年に再建されて物です。
街中に溶け込むような、こじんまりとしたお寺でした。
本覚寺
先ほどの大巧寺にすぐ近くにあるお寺です。
1436年に足利持氏が建立し、日出に寄進したのが本覚寺の始まりと伝わります。
元々、この辺りは鎌倉幕府の裏鬼門にあたる場所で、源頼朝がに鎮守として夷堂が建てられました。 佐渡への流罪を許された日蓮は、鎌倉に戻るとしばらくの間、夷堂を住まいとして使用していたと伝わります。
本覚寺がある場所は、寺の創建前から日蓮宗にとって関係の深い場所だったようです。
仁王門
元々、江戸時代に三浦半島の寺院に建立された門で、明治時代に現在の場所に移築されたらしいです。 門には仁王像が安置されています。
本堂
1923年に建立された建物です。
関東大震災では、建物が傾く被害があったようですが、倒壊はしなかったようです。
建立した年が関東大震災と同じなので、再建したすぐ後に地震が来たのか、地震で修復した事を建立した年としてるのかが微妙な所です...。
分骨堂
本覚寺には身延山久遠寺の日蓮の遺骨が分骨されており、その事から「東身延」とも呼ばれています。 その遺骨を安置しているのが分骨堂のようです。
日出の弟子、日朝が目の病気になった時、眼病救護の誓願をした事から眼病に御利益がある寺としても知られています。
鐘楼
梵鐘には 1410年の銘があります。
日出が木更津八幡宮の別当寺で法論に勝ち譲り受けた物のようで、石渡造左衛門が一人で担いで持ち帰ったとの伝説があります。
さて、そろそろ次の場所に移動しましょうか...。
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