香川県 金刀比羅宮(1) ― 2024年05月05日
香川県の琴平山の中腹にある金刀比羅宮は、「こんぴらさん」の愛称で親しまれています。
御祭神は大物主神と崇徳天皇で、農業、殖産、医薬、海上守護の神として信仰されています。 正確な創建年代は不明です。
1156年の保元の乱で讃岐に流罪になった崇徳天皇を 1165年に奉斎していますが、その頃には既に神仏習合の金毘羅大権現が祀られていたようです。
ただ、長宗我部氏が讃岐に侵攻した時に金毘羅大権現に関する記録が消失してしまい、金毘羅大権現の詳しい事は分かって無いようです。
江戸時代中期に庶民の間で「金毘羅参り」が流行しました。 明治の神仏分離令で仏教的な部分が分離され、名称も「象頭山金毘羅大権現」から「琴平山金刀比羅宮」に変わります。
ゴールデンウイーク中の訪問だったので非常に混雑していました。
10時を少し過ぎた頃に到着しましたが、周辺の駐車場は全て満車状態でした。 車だと、周辺を周回して運よく停められるタイミングを待つような状態でした。 ただ、バイクは琴平参拝駐車場に普通に駐車する事が出来たので助かりました。
では、これから頑張って奥社までの階段 1368段を登りましょう...。
113段目から大門(356段)までの間を一之坂と呼ぶそうです。
大門までの階段沿いには商店街が続きます。 登りでお土産を買うと荷物になるので、お土産は帰りに買う事にします。
琴陵宥常像
金刀比羅宮の宮司さんのようです。
明治の神仏分離令の時に、神仏習合の寺院だった「金毘羅大権現」を神社の「金刀比羅宮」に変えた人物のようで、日本水難救済会も創設しました。
現在の「金刀比羅宮」を創った人物なのかも知れません。
金刀比羅本教の本部
江戸時代、金刀比羅宮の信仰は全国に広まっていました。
琴陵光重氏は、全国の「ことひら講」を基礎として、刀比羅大神と教祖 厳魂彦命を祀る「金刀比羅本教」を設立します。 1969年、金刀比羅本教は宗教法人として承認されました。
ここは、その本部のようですね..。
大門
高松藩主松平頼重が1654年頃に寄進した門です。 当初は仁王門でしたが現在は仁王像はありません。 明治の神仏分離令の影響でしょうか?
時期によって変わるのかも知れませんが、大門は朝 6時に開門し、午後 6時に閉門します。
金刀比羅宮の参拝は時間に余裕をもって行動しましょう...。
大門の近くは人が多すぎて素通りしました...。 この先が金刀比羅宮の境内になります。
桜馬場
ようやく平地が現れます。
この辺りは 150m の石畳で、両脇の木は桜です。 多分、春に来ると全然違う風景になると思います。 山岳信仰の登拝拠点に「馬場」と言う、馬を留め置く場所があったようなので、それに近い感じの場所でしょうか? 幅の広い直線なので「馬場」と呼んでるだけかも知れませんが...。
こんぴら狗像
愛嬌のあるこの犬の像は、イラストレーター湯村輝彦氏のデザインです。
江戸時代、犬が飼い主の代わりに金毘羅大権現に参拝する風習があったようです。
首の木札には飼い主の名前が書かれており、また、初穂料、道中の食費などが入った袋も首に掛けられており、旅人に連れられて金毘羅大権現まで旅したようです。
伊勢神宮にも同じような話がありましたね..。 昔の人は親切だったのかな..。
神馬舎
多くの人が集まっていたので覗いてみたら、神馬がお食事中でした。
顔が見えなかったのは残念。
でも、馬にストレスをかけないように、静かに見学しましょう...。
鳥居の先も、まだまだ階段が続きます...。
社務所門
書院の出入り口にある門です。
昔、社務所が書院に付属していた事から今でも「社務所門」と言う名称だそうです。
古そうな門ですが、建立年代などの情報は見当たりませんでした。
表書院
表書院と奥書院があり、公開されているのは表書院の方になります。
表書院は 1659年子頃に建立された建物のようで、奥書院もだいたい同じ年代のようです。
全部で 7部屋あり、その内 5部屋の障壁画が円山応挙が描いた物です。 また、残り 2部屋は、明治の画家 邨田丹陵の作品です。
多分、受付の奥が奥書院で、森寛斎の障壁画がある部屋だけ見学できます。
こちらが表書院の正門となる四脚門です。
普段は閉じられており、通る事は出来ません。
木馬舎
讃岐国高松藩主 松平頼重が 1650年に奉納した木馬舎です。
中の木馬は京師田中環中斎弘教宗圓の作。 ここまで 500段..。
生きた馬が奉納出来ない時は、木や土で作った馬を献納したようで、それが後に「絵馬」へと移り変わって行ったようです。
祓戸社
御祭神は、瀨織津姫神、速秋津姫神、気吹戸主神、速佐須良姫神です。
罪穢を祓い清める神様なので、ここで祓い清めてから参拝するのが良さそうです。
火雷社
祓戸社の隣に鎮座しています。
こちらの御祭神は、火産靈神、奥津比古神、奥津比賣神、八衢比古神、八衢比賣神、來名戸神です。 火産靈神は火を司り、奥津比古神、奥津比賣神は竈を司る神様のようなので、鎮火消防の神様と言う事のようです。
八衢比古神、八衢比賣神、來名戸神は、外敵、悪霊の侵入を防ぐとの事なので、疫病退散と言った所だと思います。
旭社近くの休憩所まで登ってきました。 御本宮はあと少しです。
皆さん、ここで一息ついてる感じで、ほとんど座る所が空いてませんでした...。
旭社は帰りに参拝するので先に進む事にします。
休憩所から少し進むと賢木門が見えてきました。
賢木門は 1584年に長曽我部元親が寄進した門です。 1本、柱が逆さまに建てられた事から昔は「逆木門」と呼ばれてました。 明治時代の 1879年に改築した際、「逆」の字を嫌って現在の「賢木門」に名前が変わりました。 扁額は、有栖川宮熾仁親王の書のようなので、現在の門は明治時代に改築した時の姿なのかも知れません。
ここから御本宮まで 143段...。
もう少しで、御本宮...。
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