和歌山県 熊野本宮大社 ― 2024年08月10日
和歌山県田辺市にある熊野本宮大社は、全国にある熊野神社の本宮です。
また、世界遺産 「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つです。
正確な創建年代は不明ですが、社伝では崇神天皇 65年(紀元前 33年)と伝わります。 創建時は現在の大斎原らしく、1889年の洪水被害により現在の場所に遷座したようです。
大斎原は2つの川に挟まれた中洲のような場所であり、元々、水害の被害を受けやすい場所だったので遷座は仕方が無かったのかも知れません。
奈良時代には神仏習合により熊野権現と称しており、平安時代の頃から皇族や貴族などが参拝していたようです。 また、室町以降は武士や庶民の間で熊野信仰として広まります。
大鳥居
鳥居の手前に八咫烏の旗があります。
神武東征の時、八咫烏が熊野から大和までの道案内をしたとの伝承があます。 八咫烏は神様の使いで三本足の姿で描かれています。 八咫烏の三本の足は、「天」・「地」・「人」を表しているとの説があり、中国の「八咫烏」と同一らしいです。
シンボルマークとして使われる事もありますが、由来とか分からない事も多いようです。
参道
大鳥居の先は参道で、両側に奉納された熊野大権現の旗が並びます。
参道の中央は空け、右端を登って左端を下るのが作法のようです。
参道の途中は 158段の階段になっています。
功霊社
参道の途中にあった社です。
功霊社には、日露戦争、第二次世界大戦で戦死した本宮町本宮出身者が祀られています。
熊野本宮大社の外にあったようですが、遺族会の高齢化によって管理が難しくなり、現在の場所に移して熊野本宮大社で管理するようになったようです。
日露戦争で 4柱、第二次世界大戦で 58柱が祀られており、この地域でも戦争の犠牲者は少なく無かったようです。
祓戸大神
参道の途中にあります。 本殿に参拝する前に、ここで悪い物を祓ってから参拝するのが作法のようです。
気が付かずに通り過ぎる人も多いですが、忘れずにここで参拝するようにしましょう。
宝物殿
熊野本宮大社は文明年間(1469 ~ 1487年)、永禄年間(1558 ~ 1570年)の火災で多くの建物を消失しており、また、1889年には洪水により甚大な被害を受けています。
そんな中、現在に伝わる貴重な資料が展示されています。
今回は時間に余裕があるのでゆっくりと見学する事ができました。
神門
こちらも、1889年の洪水被害の後に大斎原から移築された物らしいです。
ただ、神門の多くの部分に転用古材が使われており、洪水被害で倒壊した他の建物から部材が転用されているようです。
移築と言うより、倒壊した部材を再利用した建て直しに近い物だったのかも知れません。
社殿
境内は思ったよりもコンパクトな印象を受けましたが、社殿は立派です。
向かって右手前にあるのが東御前(若宮・第四殿)で祀られているのは天照大神。
その隣が証誠殿(本宮・第三殿)で祀られているのが家津美御子大神で熊野本宮大社の主祭神です。 一番奥の大きな建物が、速玉大神を祀る中御前(結宮・第二殿)と、夫須美大神を祀る西御前(結宮・第一殿)です。
証誠殿、中御前、西御前、東御前の順に参拝するのが作法なようです。
中御前と西御前側から眺めた所です。
中御前と西御前は、建物としては一つですが、参拝する場所は2つに分かれています。
熊野本宮大社の社殿は、1889年の洪水で被害は受けましたが流出は逃れており、ここに並ぶ社殿は大斎原から移築された物のようです。
宝物館のパンフレットにも、傾いてますが原型をとどめている社殿の写真が掲載されていました。
拝殿
参拝して振り返ると、も一つ建物があるので「何だろう」と思っていたのですが、こちらの建物が拝殿のようです。
参道を進んで神門をくぐると、そもまま本殿なので、拝殿の存在に気が付きませんでした。
普通、拝殿の先に本殿だと思うのですが、拝殿が参道から少しずれた場所にあるのは、建物の配置的には珍しいなと思いました。
神門を出て、参道横の拝殿正面に回った所。
存在に気が付きませんでした...。
何で拝殿が脇の方にあるのだろう...。
産田社
熊野本宮大社の参拝を終え、大斎原の方にも行ってみます。
大斎原は、熊野本宮大社の鳥居を出て国道 168号を渡った先にありますが、その途中にあるのが産田社です。
御祭神は伊邪那美命で、女性の守り神です。 伊邪那美命は多くの神様を産み落とした神様なので、子宝、安産の神様でもあります。 男一人旅では入りにくかったですが、ご挨拶くらいはして行きましょう...。
大斎原大鳥居
田んぼの中を進むと大きな鳥居が見えてきます。
周りに建物が無いので、鳥居の巨大さが際立ちます...。
日本最大の鳥居のようで、高さ 34m、幅 42m もあります。 建てられたのは 2000年なので、わりと最近のようです。 ぜひ、現地で実物を見て欲しいです。
大斎原参道
参道は今でも綺麗に整備されているようです。
昔、熊野本宮大社に参拝する人はここを歩いたのでしょう...。
大斎原
今は何もありませんが、ここに熊野本宮大社がありました。
そしてここが全ての熊野古道の終着点です。
国道 168号の方に街並みがあり、そこから大斎原に入る場所に音無川を渡る太鼓橋があったようです。 ただ、橋が出来たのは江戸時代のようで、それまでは音無川を自力で渡って身を清めていたようです。
現在の大斎原は、流出した中四社、下四社、及び摂社の神様を石造りの祠2基に合祀して祀っています。 なんだか寂しい感じがしますが、ここが熊野古道の本当の終着点です。
いつか時間がある時に、熊野古道も歩いてみたいですね..。
一遍上人神勅名号碑
何が書かれているのか読めませんでしたが、「南無阿弥陀仏」のようです。
布教の在り方に悩んでいた一遍上人は、熊野本宮大社で一心に祈りを捧げてました。 そして夢の中で熊野権現のお告げを受けます。
ここは、一遍上人が開眼した場所でもあるようです。
何で熊野本宮大社に一遍上人なのか解らなかったのですが、意外な繋がりがあったようです。
13年前に一度訪問しているのですが、その時は到着時間が遅く、足早に参拝だけして帰った記憶があります。 バイクもどこに停めたのか記憶がありません。
今回は近くのお土産やさんの駐車場に停めさせてもらい、帰りにここでお土産を買って帰りました。
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