和歌山県 補陀洛山寺2024年08月11日

補陀洛山寺は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する資産の一つです。
歴史は古く、仁徳天皇が在位していた頃(313 ~ 399年)に熊野の海岸に漂着したインドの裸形上人が開山したと伝わります。 ただ、日本への仏教伝来は 538年や 552年の欽明天皇の年代と考えられているので、本当に伝承通りだとしたら仏教伝来の歴史が変わってしまうような気がしますね..。
現在では小さな寺院ですが、1808年の台風でほとんどの建物が倒壊するまではもっと大きな伽藍だったようです。 また、補陀洛山寺は、南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指して旅立つ補陀洛渡海の出発地点でした。
参拝者用の駐車場もありますが、渚の森駐車場からも参拝可能です。

本堂
1808年の台風で倒壊した後は仮本堂でしたが、1990年に現在の本堂が建立されたようです。
わりと最近に再建されたようなので、それまではもっと荒廃している感じだったのかも知れません。
平安時代に造られた本尊の千手観音像は年 3回の法要の時だけ一般公開されます。
補陀洛山寺・本堂

熊野三所大神社
本堂の隣に鎮座している神社です。 元々は補陀洛山寺と一体でしたが明治の神仏分離令によって分離されました。
御祭神は熊野三所権現(熊野夫須美大神、御子速玉大神、家都御子大神)です。
昔は浜の宮王子とも呼ばれてました。
補陀洛山寺・熊野三所大神社

補陀洛山寺・熊野三所大神社

補陀洛渡海船
境内には補陀洛渡海で使用されていた船が復元されています。
補陀洛渡海は南海の彼方にある観音浄土を目指す捨身行で、海で行う即身仏のような物です。
この小さな船に僧侶とわずかな食糧と水、灯り用の油が入れて、扉を釘で閉じて出航します。
僧侶は死ぬまで船の中で経を唱え続けます。 868 ~ 1722年までの間に 20数回行われました。
かなりヤバイ荒行ですが、最後の数回は亡くなった僧侶の遺体を乗せて出航したようです。
補陀洛山寺・補陀洛渡海船

小さな寺院ですが、当時の宗教的な出来事を知る上で興味深い場所なので、熊野の方へ行った時は立ち寄りたい場所です。


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