和歌山県 熊野那智大社 ― 2024年08月11日
熊野那智大社の社殿、および境内は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つです。 熊野本宮大社、熊野速玉大社と共に、熊野三山の一つに数えられます。 ただ、創建は不明な点が多いらしく、最初は那智滝を御神体とする飛瀧神社の辺りにあったようで、317年に現在の場所に遷座したようです。
隣接していた如意輪堂と一体化し、神仏習合して信仰を集めましたが明治時代の神仏分離令により仏像などは補陀洛山寺などに移されたようです。 なお、1874年に如意輪堂は熊野那智大社から独立して青岸渡寺として再興され、如意輪堂は青岸渡寺の本堂として使用されています。
現在の姿を見ると、神仏分離令の影響が無かったように見えますが、信者らの努力によって神仏習合していた頃に戻された感じのようです。
なお、先程の大門坂の登った先がこの熊野那智大社になります。
約 11年前に訪問しているのですが、当時、どこにバイクを停めたのか思い出せませんでした。
那智の滝近くの駐車場は満車だったので、その先にある那智山観光センター 大駐車場にバイクを停めました。 こちらは大きな駐車場なので、バイクであれば大抵の場合は駐車できると思います。
駐車場から表参道に入り、熊野那智大社を目指します。
実方院跡
実方院は那智山の御師(その社寺へ参詣する人の参拝や宿泊を世話する人)として大きな勢力をもっていました。 実方院は野那智大社を参拝した上皇や法皇の御宿所としても使用されるほどでした。 そんな実方院ですが明治時代の神仏分離令で還俗し、那智大社の所有となりました。
日本庭園や右奥に見える建物が当時の実方院とどの程度関係があるの良く分かりませんが、現在は休憩所のような場所になっています。
平和観音堂
中には観世音菩薩像が安置されています。
Google Map に「天台大師1400年忌の記念」との説明があったので、最近の仏像でしょう。
でも、これから先、何十年もここを通る参拝者を見送り続けるのでしょう。
一の鳥居
表参道の階段を登り続けると一の鳥居が見えてきました。
しかし、大門坂を登ってきたらこの最後の階段はキツそうですね...。 階段はまだ続きます。
気温も高く、既に汗だく状態です。
神馬舎
白馬の木造が安置されている神馬舎です。
神社の定番ですね。
二の鳥居
ようやく最後の階段です。
まるで城の石垣ですね..。
でも、戦国時代の社寺は城みたいな使われ方をする場合も珍しく無いので、もしかしたら無関係では無いのかも知れません。
ようやく熊野那智大社に到着しました。
炎天下の階段はキツかったですが、昔の人は熊野古道を何日も歩いてここまで来る訳で、それと比べたらこの程度の苦労は比較にならないでしょう...。
敷地の半分位は青岸渡寺の印象なので、神仏分離令で如意輪堂が分離されていた時代はどんな感じだったのでしょう...。
礼殿
熊野那智大社のサイトでは「礼殿」と記載されてますが、この建物の裏に本殿の建物が5つ並んでいます。 配置的に一般的な神社で言う「拝殿」と同じ物だと思います。
この礼殿に関する情報が少なく、文化財指定を受けているとの情報も見当たらなかったので、礼殿自体は新しい建物なのかも知れません。
熊野那智大社は 1581年の戦災により多くの建物を消失しており、礼殿裏にある本殿の建物は、1851 ~ 1854年頃に再建された物のようです。
御縣彦社
本殿よりも少し新しい建物のようで、1867年に再建された物のようです。
御祭神は賀茂建角身命で、八咫烏はこの神様の化身です。
また、その八咫烏が姿を変えて休んでいるとされる石が本殿前の境内にあるようです。 拝観料を払えば本殿前に入れるようですが、良く分かりませんでした。
八咫烏は導きの神様で、日本サッカー協会のシンボルマークにもなっています。
那智の樟
樹齢 850年と推定される巨木です。
木の内部が空洞になっており、護摩木か絵馬を購入して樟霊社胎内くぐりとして中に入って奉納する事が出来ます。
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