和歌山県 青岸渡寺2024年08月11日

青岸渡寺は、熊野那智大社の隣にある寺院で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つです。
補陀洛山寺と同じく仁徳天皇が在位していた頃(313 ~ 399年)に熊野の海岸に漂着したインドの裸形上人が開山したと伝わります。 推古天皇(593 ~ 628年)の時代に如意輪堂が建立され熊野那智大社と神仏習合して一体化します。
如意輪堂も 1581年の兵火により焼失しますが 1590年に豊臣秀吉によって再建されます。
明治時代の神仏分離令により熊野那智大社と分離されますが、1874年に古くからの信者によって再興されました。

本堂(如意輪堂)
熊野那智大社のすぐ隣にあります。
今回は熊野那智大社からの参拝なので、1933年に再建された山門を通らずに本堂に着いてしまいました。 その為、山門は完全に見落としました...。
本堂は、1590年に豊臣秀吉によって再建された建物です。 元々は如意輪堂と呼ばれており、神仏分離令の後に熊野那智大社から独立した時に本堂として再興されました。
青岸渡寺・本堂

青岸渡寺・本堂

青岸渡寺・本堂

遠くに那智の滝が見えます。
平安時代の参拝者も、これと似た風景を眺めたのでしょうか..。
青岸渡寺・那智の滝

水子堂
水子供養の為の御堂で、本尊は如意輪観音菩薩です。
建立年代の情報が見当たらず、それほど古い建物では無さそうです。
青岸渡寺・水子堂

鐘楼
鎌倉時代の元亨四年(1324年)の鋳造された梵鐘のようです。
「那智山執行法印権大僧都道済 滝本執行法印尊什 河内国河内ノ介弘」の銘ありとの事。
多分、書かれているのはこの梵鐘の鋳造に関わった人物名のように思えます。
青岸渡寺・鐘楼

大黒天堂
最澄の作と伝わるだ大黒天が安置されている建物です。
本尊は大黒天ですが、七福神全てが祀られています。
1254年、境内から少し離れた場所に建立され、光明堂や回向堂と呼ばれてました。
1427年に再建されましたが 1581年に焼失、1623年にもう一度再建されます。
1942年に修理され、その時に現在の場所に移築されました。
青岸渡寺・大黒天堂

青岸渡寺・大黒天堂

行者堂の方に伸びている階段は、多分、熊野古道の一部でしょう。
青岸渡寺・熊野古道

行者堂
見るからに新しいこの建物は 2023年に再建された行者堂です。 13年前に訪問した時には無かった建物ですね...。
元々、熊野那智大社の境内にありましたが、明治の神仏分離令の時に取り壊されました。
本尊の行者像は、取り壊される前の行者堂から引き継がれている古い物です。
毎月1回、ここで護摩行が行われているようです。
青岸渡寺・行者堂

こうして見ると、結構、山奥にある寺院ですね...。
青岸渡寺

三重塔
三重塔は 1581年の兵火により焼失しました。 長らく再建されませんでしたが、 1972年に再建されました。 内部はエレベーターで一番上まで登る事が可能で、歩いて降りてきながら見学するような感じになります。 外観が木造っぽく見える場所があり、木材と鉄筋コンクリートが併用された造りになっているようです。
ここからは那智の滝が良く見えます。
青岸渡寺・三重塔

青岸渡寺・三重塔

これから那智の滝がある飛瀧神社まで歩くのですが、結構、距離がありますね...。
一休みしてから出発する事にします。
青岸渡寺・那智の滝


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