鳥取県 若桜鬼ヶ城2024年09月14日

若桜鬼ヶ城は、鳥取県八頭郡若桜町にある続 100名城の一つです。
正確な築城年代は不明ですが、1200年に矢部暉種が築城した説があります。
1575年、尼子氏の再興を画策した山中幸盛(鹿介)によって城主が捉えられ、若桜鬼ヶ城は山中幸盛手に渡ります。 しかし、翌年には敗走して若桜鬼ヶ城は毛利氏が所領します。
1580年、豊臣秀吉の侵攻により毛利氏は鳥取城に退去し、八木豊信が城主となります。 なお、翌年、鳥取城は「鳥取の渇殺」で知られる悲惨な籠城戦の末に落城します。
1581年に八木豊信が降格となって城主が木下重堅に変わりますが、重堅は関ヶ原合戦で敗退して自刃します。 関ヶ原合戦後は山崎家盛が城主になりますが、1617年、山崎氏は備中成羽に転封となり、一国一城令の影響で若桜鬼ヶ城は廃城になります。

若桜町 観光案内所
若桜鬼ヶ城と続 100名城のスタンプが置かれている場所は少し離れています。
今回は観光案内所で先にスタンプを押してから城跡の見学をする事にします。
建物裏に駐車場があるのですが、隣接するスーパーマーケットの駐車場だと思います。
私はバイクだったので、歩道脇に停めてスタンプを押して足早に出発しました。
若桜町 観光案内所

駐車場
狭い林道を登って行くと舗装道路の終着点付近に車を数台停められる場所があります。
未舗装ですが、この先にも駐車スペースが存在します。
オフロード車では無いので、ここにバイクを停めて歩く事にしました。
未舗装区間も、ちゃんと整備はされているので、この先の駐車場でも問題無いかも知れません。 ただ、私はバイクでも細い道は走りたく無いので...。
若桜鬼ヶ城・駐車場

若桜鬼ヶ城・駐車場

堀切
奥にあった駐車場付近は馬場だったようです。
その馬場を通り過ぎた先にあった堀切です。
馬場のある若桜鬼ヶ城の南側は比較的緩やかな尾根が続くので、そこからの侵入を防ぐ為の物だと思います。 昔はもっと深かったかも知れないです。
若桜鬼ヶ城・堀切

若桜鬼ヶ城・堀切

もしかしたら、この辺りも曲輪だったのかも知れません。
この先を進むとホウズキ段の石垣に突き当ります。
石垣の手前には動物除けの電気柵がありますが、「電気柵は通電を停止しています。フックを外してお入りください。」の看板があり、中に入る事は可能です。
「熊注意」の看板もあったので、この辺りは野生動物が多いのかも知れません。
通電して無いとの事ですが、恐る恐るフックを外して中に入ります。
(中に入ったらフックを戻しましょう。)
若桜鬼ヶ城・南側

ホウズキ段の石垣
上の方の石垣は綺麗に残ってますが、下の方に大きな石がゴロついていたので、全体としてはもっと大きな石垣だったのかも知れません。
若桜鬼ヶ城は、かなり上の方まで車で登れるので見学が楽です。
若桜鬼ヶ城・ホウズキ段の石垣

ホウズキ段の右側から三之丸に行けるようなのですが、通行止めになってました。
若桜鬼ヶ城の東側は足場が不安定なのかも知れません。
ホウズキ段の左側から二之丸側に進む事にします。
若桜鬼ヶ城・三之丸通路

ホウズキ段の石垣沿いに進み、この先の搦手口を目指します。
写真では分かりにくいですが、左側のワイヤーは動物除けの電気柵です。
通電して無いと思いますが、危ないので近寄らないようにしました。
若桜鬼ヶ城・搦手口へ

搦手口
かなり崩れているので、当時の形状が分かりにくい状態ですが、ここが搦手口の枡形虎口があった場所です。 多分、門があったのだと思いますが、どんな門だったのでしょうか..。
もしかしたら、石垣は自然に崩落したのでは無く、廃城時に意図的に崩されたのかも知れませんね..。
若桜鬼ヶ城・搦手口

若桜鬼ヶ城・搦手口

搦手口から中に入り、右側に本丸の石垣を眺めながら先に進みます。
しばらく進むと六角石垣方面への分岐道の案内がありました。
六角石垣方面は下山路であり、どの位先に六角石垣があるのか不明なので今回は諦めました。
案内に距離とか書いてあると助かるのですが...。
若桜鬼ヶ城・本丸石垣

二之丸
ここからは木下氏、八崎氏の家紋入り瓦などが出土しています。 多分、何等かの建物が存在していたのでしょう。 また、石垣の石材は若桜鬼ヶ城がある鶴尾山の「石取場」と呼ばれている場所から運ばれた物らしいです。 若桜鬼ヶ城の縄張は、本丸、二之丸、三之丸が一列に並ぶ連郭式のようです。
若桜鬼ヶ城・二之丸

三之丸
中央に伸びる石垣は大手口の石垣で、石垣の右側は桝形虎口になります。
もしかしたら、手前付近に二之丸と三之丸を区切る城門があったのかも知れません。
若桜鬼ヶ城は石垣造りの山城ですが、最初から石垣造りだったとは思えません。 石垣はそれほど新しい年代とは思えないので、石年代的に垣が整備されたのは木下重堅の頃でしょうか?
若桜鬼ヶ城・三之丸

三之丸側から二之丸側を振り返った所。
向かって左側が大手口の枡形虎口。
若桜鬼ヶ城・三之丸

三之丸から若桜の町が良く見えます。
矢部氏の時代に町としての基礎が作られ、城下町として若桜は発展してきました。
交通の要所でもあった事から、廃城後も宿場町として賑わっていたようです。
若桜鬼ヶ城・三之丸からの眺め

大手口
切り出した石材をそのまま積んだような荒々しい石垣です。
三之丸にある大手口の桝形虎口の石垣で、周辺に大きな石材が転がっています。 それほど高い石垣には思えないので、自然に崩落したというよりも意図的に崩されたのかも知れません。
若桜鬼ヶ城・大手口

若桜鬼ヶ城・大手口

本丸の石垣
二之丸に戻り、本丸に行く事にします。
正面にあるのは本丸の石垣です。
若桜鬼ヶ城・本丸の石垣

本丸虎口
かなり崩れていて、当時の様子は分かりにくいです。 これも、城を破却した時に意図的に崩されたのかも知れません。
二之丸から狭い入り口を通ると、通路は右に折れ曲がっています。
若桜鬼ヶ城・本丸虎口

若桜鬼ヶ城・本丸虎口

本丸
鶴尾山の山頂付近が若桜鬼ヶ城の本丸になります。
どんな建物があったのかは不明ですが、山崎氏の家紋が入った軒平瓦や鯱瓦の胴部などが見つかっています。 そんな事から、それなりの規模の建物があった事は間違い無いと思います。
どんな建物があったのか分からないのは、江戸時代初期に破却された城なので建物が描かれた絵図などが存在しないからでしょうか...。
若桜鬼ヶ城・本丸

天守台
若桜鬼ヶ城の本丸にはホウズキ段を見下ろすような場所に天守台があります。
それほど大きな天守台では無いので、ちょっとした櫓程度の建物だったのかも知れません。
若桜鬼ヶ城は試掘調査はされているようですが、本格的な発掘調査はされていないようです。 調査が進めばどんな建物が存在していたのか、もう少し判明するかも知れません。
若桜鬼ヶ城・天守台

若桜鬼ヶ城・天守台

天守台から東側を眺めた所。
良い景色です。
若桜鬼ヶ城・天守台からの眺め

結局、ホウズキ段側への行き方が分からずにスルーしてしまいました。
後から知ったのですが、この城の見所は「城がどのように破却されれるのか」でもあるようなので、そう考えると、虎口などが分かりにくくなっているのは意図的に崩されたからかも知れません。
城巡りは奥が深いですね...。


コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2024/09/14/9742917/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。