鳥取県 米子城2024年09月14日

応仁・文明の乱(1467 ~ 1477年)の頃、山名宗之が米子飯山砦を築いたのが米子城の始まりと考えられています。 飯山は国道 9号を挟んで現在の米子城の隣の山になります。
戦国時代に尼子氏が米子城を支配しますが、1562年の頃には毛利氏の支配下に入ります。
1591年、吉川広家が隣の米子湊山に築城を開始し、それが現在まで史跡として残る米子城になります。 関ヶ原合戦の後の 1600年に広家は周防国岩国に移封されますが、この時の米子城は未完成宇でした。  1602年に中村一忠が米子城に入り、米子城を完成させます。
1609年に一忠が急死すると中村家は断絶、翌年、加藤貞泰が米子城の城主となります。
1617年貞泰が転封になると池田由之の所領となり、1632年からは池田家の筆頭家老である荒尾氏が幕末まで代々城代を務めます。

三の丸駐車場
米子城の駐車場は何か所かありますが、三の丸駐車場がある場所や、隣の空き地は米子城の三之丸だった場所です。
将来、隣の空き地は公園として整備されるようで、埋め立てられてしまった内堀や、米蔵跡の平面提示を行う計画があるようです。
米子城跡三の丸駐車場

三の丸番所
続 100名城のスタンプが置かれているガイダンス施設です。
米子城を見学するのに役立ちそうなパンフレットなどが置かれているので、先に立ち寄ると良いかと思います。 非常に暑かったので、ここで少し休んでから米子城を見学する事にしました。
米子城・三の丸番所

二之丸枡形虎口
枡形の広さは、東西 25.44m、南北 22.72m です。 かなり大きな枡形虎口です。
案内では、石垣の高さは 4m あり、入り口正面の石垣に2個の鏡石があるとの説明がありました。
ただ、虎口の石垣は、実際に見た感じでそんな高さがあるようには見えず、「鏡石」と呼べるほど大きな石も見当たりませんでした。 石垣が倒壊している感じもしなかったので、埋没保存しているのでしょうか?
米子城・二之丸枡形虎口

米子城・二之丸枡形虎口

米子城・二之丸枡形虎口

表中御門付近
桝形虎口の内側にある階段を登ります。
どうやらこの階段を登った所に枡形虎口内側の表中御門があったようです。
門を潜った先は直角に右折する構造になっていて、ここから二之丸に入ります。
米子城・二之丸枡形虎口

旧小原家長屋門
表中御門の先に旧小原家長屋門が見えます。
この長屋門は、元々ここにあった訳では無く、市内西町の小原家にありました。 長屋門が市に寄贈され、1953年にこの場所に移築されました。
小原氏は家老だった米子荒尾氏の家臣で禄高は 120石でした。 鳥取市に現存する唯一の武家屋敷のようで、貴重な江戸時代中期の建物です。
米子城・旧小原家長屋門

米子城・旧小原家長屋門

二之丸跡
このテニスコートがある場所は二之丸だった場所になります。
二之丸には城主の御殿があったようです。 1603年、謀反の疑いから城主の中村一忠が家老の横田内膳正村詮を誅殺する事件が発生します。 内膳は、二之丸の建物内で誅殺されたようです。
明治時代になると廃城になった米子城は 1879年に古物商の手に渡り、石垣以外の建物はその時に取り壊されたようです。 1933年になると米子市に寄贈され公園として整備されます。
もしかしたら、テニスコートの下には当時の建物の礎石跡が眠っているのかも知れませんね..。
米子城・二之丸跡

御殿御用井戸跡
雑草に埋もれているので、案内板が無ければ井戸の存在は分からない状態ですが、ここに御殿で使用する水を供給していた井戸がありました。
有刺鉄線や柵があるので、中に入る人はいないと思いますが、この雑草の中に井戸があるのだと思います。 井戸が見えないのは怖いので、もう少し雑草を管理して欲しいですね...。
米子城・御殿御用井戸跡

二之丸跡から本丸への遊歩道を登ります。
城だった頃もここが登城路だったのかは不明ですが、二之丸から内膳丸や本丸に行くには丁度良い道なので、昔の登城路跡の可能性はありそうです。
尾根に出ると道は左右に分かれ、先に内膳丸を見学する事にします。
米子城・登城路

内膳丸虎口
内膳丸の入り口付近は石垣で幅が狭めてあり、恐らく、この辺りに城門があったのでしょう。
ただ、あまり情報が見当たらず、どんな門だったのかは良く分かりませんでした。 でも、石垣が立派なので櫓門でしょうか?
米子城・内膳丸虎口付近

米子城・内膳丸虎口

内膳丸
段差から、内膳丸は2段構造だった事が分ります。
ここは、家老横田内膳正村詮が担当して築城したので「内膳丸」と呼ばれているようです。 ただ、絵図には「出丸」と書かれていたりするので、当時は「内膳丸」とは呼ばれて無かったかも知れません。
この曲輪には二重櫓の武器庫があったようです。
1603年に横田内膳が誅殺された時、抵抗した横田氏の一族は内膳丸に籠ったようです。 騒乱自体は翌日に終結しますが、誅殺した中村一忠の側近は切腹になり、一忠も謹慎処分になったようです。 処分結果を聞く限りでは、内膳の問題では無かったのかも知れませんが、一忠は若かったので歪な権力構造があったのかも知れません。
米子城・内膳丸

米子城・内膳丸

番所跡
内膳丸から引き返し、本丸側に移動すると番所が見えてきました。
ここに本丸の出入り口を警備する番所がありました。 番所の大きさは 7.27 m ×  7.27 m でした。
ここの曲輪から下にある桝形虎口に向かって竪堀があるそうですが、ちょっと分かりませんでした..。
米子城・番所跡付近

米子城・番所跡

番所跡から振り返ると天守台の石垣が見えます。
中央の一番高い場所が天守台で、その手間は2段の帯曲輪になっているようです。
階段の左側には、番所跡よりも一段高い場所にある曲輪があり、そこにも何か建物があったのかも知れません。 この辺りの構造は少し複雑になっています。
米子城・番所跡付近

四重櫓台跡
天守下のの帯曲輪に沿って進むと四重櫓台跡が見えてきました。
かなり大きな櫓台で、城の規模によっては天守台くらいの大きさがあります。 どうやら、後から天守が作られるまではこちらの櫓が天守だったようです。
天守台は打込ハギですが、この四重櫓台は綺麗に加工された切込ハギです。 ここの石垣は幕末に修復されているようで、高い石垣技術が使われている事が見て分かります。
米子城・四重櫓台跡

米子城・四重櫓台跡

四重櫓台を回込むように進むと階段があります。
この階段の先を右に曲がると鉄御門がありました。
米子城・鉄御門跡へ

鉄御門跡
この付近に鉄張りの堅固な門がありました。 間口 12.72m、奥行 5.4m で2階建でした。 
特に説明はありませんでしたが、石垣の様子から見てここは内側にも門がある桝形虎口だったように思えます。 ここを通り過ぎるとその先は本丸になります。
米子城・鉄御門跡

米子城・鉄御門跡付近

本丸
右奥に見えるのが天守台です。
本丸はそれなりの広さがありますが、天守台が結構な割合を占める印象があります。
これだけの広さがあるので、本丸にも何かしらの建物があったと思うのですが、特に説明はありませんでした。
米子城・本丸

天守台
かなり大きな天守台です。 礎石の数も多く、かなり立派な四重天守だったようです。
この天守を建てたのは 1600年から米子城の城主になった中村一忠のようです。 恐らく、米子城が完成されたとされる 1602年頃に完成したのだと思います。
米子城・天守台

天守台側から四重櫓の方を眺めた所。
こちらを建てたのは吉川広家のようで、吉川広家の時代はこちらが天守だったようです。
明治時代の 1878年に撮られた、四重櫓と天守が並んでる写真があるようなので、多分、米子城が売却されるまでは、2つの天守が現存していたのだと思います。 もし、破却されずに現存していたら、かなりの観光資産になったかも知れないですね...。
米子城・四重櫓台跡

三之丸側から登ってきましたが、反対側は中海です。
ここは、かなり攻め難い場所にある平山城です。 良い場所に建てましたね..。
米子城・本丸からの眺め

本丸の反対側にある虎口から外に出ます。
多分、ここにも門があったのだと思います。
米子城・本丸虎口

虎口を出て振り返った所です。
この石垣の左側を通って、天守台があった方に進むと遠見櫓跡に出れたようですが、この石垣の左側が通れる事に気が付きませんでした...。
この先には遠見櫓台があり、完全に見落としてました...。 案内板とか設置して欲しいですね..。
米子城・本丸虎口

水手御門跡
先ほどの虎口をさらに進むと水手御門跡が見えてきます。
特に説明が無かったのですが、この先は海になっており、ここを通って船小屋に出れたようです。
多分、搦手口のような場所だと思います。
米子城・水手御門跡

水手御門下の曲輪です。
この先をさらに進んで米子城を回り込むように下山したのですが、こちらから下山しない方が良いです。 あまり草刈りとかされて無いようでう、もの凄い数の蚊がいました...。 油断して虫除けスプレーをせずに入山した為、少しでも動きを止めると蚊に刺されるような状況でした。
「城山大師 四国八十八ヶ所石仏めぐり」の石仏がある程度だったので、興味が無い人は引き返した方が無難です。
米子城・水手御門下の曲輪

後で知ったのですが、米子城の隣にある飯山に、米子城の前身となった飯山城跡があります。
もし、近くに行く機会があれば、こんどはそちら側にも行ってみたいですね..。
続 100名城もあと3つです!


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