群馬県 白石古墳群 ― 2025年03月20日
今回は、東京国立博物館「はにわ」展で偶然手にした「ぐんま東国文化ものがたり」の小冊子に掲載されていた古墳群を実際に見に行く事にしました。
小冊子には群馬県高崎市周辺の古墳時代の史跡についていろいろ掲載されており、内容も充実していて良かったです。 また、寒さも落ち着いてきたのでそろそろバイクで出かけたかった事もあります。
藤岡歴史館 駐車場
ちょうど開館時間頃に到着しました。 かなり広い駐車場です。
まずは資料館を見学し、その後、ここから歩いて周辺の古墳群を見学する事にします。
古墳周辺は以外と住宅街になっている場合が多く、歩いて回る事が多いので思ったよりも時間がかかる場合が多いです..。 以前、古市古墳群を歩いて見て周った時は大変でした...。
藤岡歴史館に展示されていた熊形埴輪。
この後に見行く十二天塚古墳から出土したと伝わる埴輪です。 古代人に造形センスにはいつも驚かされます。
見学時は「ムラと歩んだ古代の寺」の企画展が行われており、牛田廃寺跡についての資料が展示されていました。 牛田廃寺跡は 2018年度の群馬県営基盤整備事業に伴う発掘調査で見つかった藤岡市初の古代寺院跡です。 発見された地区の名称から「牛田廃寺跡」と命名されました。 地域名から名付けたと言う事は、文献等による情報が少なく、当時の寺院名の特定が出来ないのかも知れません。
十二天塚北古墳、十二天塚古墳
白石稲荷山古墳の隣(北側)には、十二天塚古墳と十二天塚北古墳の2つの円墳があります。 以前は方墳、もしくは長方形墳と思われてましたが、レーダー調査によって円墳だと言う事が分りました。 出土品などから 5世紀前半の古墳だと考えられています。
実際に行ってみると円墳が2つあるようには見えません。 直径 22m の円墳が二つ並んでいるのですが、ちょっとした高台程度にしか見えません。 ここから先ほど博物館で見た熊さん埴輪が出土しました。
白石稲荷山古墳
全長 155m ある大きな前方後円墳です。 造られたのは 5世紀前半なので、先ほどの十二天塚北古墳、十二天塚古墳と同じ年代です。 どうやら、先ほどの2つの円墳は、白石稲荷山古墳の陪塚のようです。
墳丘は三段構成で、後円部からは2つの埋葬施設が発見されています。 鏡、直刀、各種装飾品などや、家、短甲などの埴輪が出土しています。
後円部には 2つの石碑がありました。
桜のようなので、春に来るとだいぶ雰囲気が違うと思います。
方墳側も結構、形状がはっきりと残っている印象です。
なお、白石稲荷山古墳は白石古墳群の一つです。
白石古墳群は 5世紀前半から 200年のほどの間に鮎川と鏑川の間に作られた古墳群の総称で、約 270基ほどの古墳が造られました。 この辺りは住宅地や農地として整備されているので、小さな古墳などは残って無いのかも知れませんね...。
では、藤岡歴史館の方に戻って皇子塚古墳の方に向かいたいと思います。
藤岡歴史館の隣にある毛野国白石丘陵公園の中を進むと、平井地区1号古墳、皇子塚古墳が見えてきました。 こちらは円墳が 2つ並ぶ状況が良く分かります。
向かって右側が皇子塚古墳、左側が平井地区 1号古墳です。
皇子塚古墳
皇子塚古墳は、直径約 31m、高さ 6m で 4段に築かれた大規模な円墳です。
前室、玄室の複数の石室があり、6世紀後半に作られてから 7世紀前半まで追葬が行われたと考えられています。
ここからは、金銅装単龍環頭大刀の柄頭が見つかっており、「皇子塚」の名称は、出土品からの推測でしょうか?
平井地区1号古墳
こちらは、直径 24m、高さ 3.5m で 2段に築かれた円墳です。 年代的には皇子塚古墳と同じ、6世紀後半に作られたと考えられています。
多くの古墳では南側に入り口を配置する横穴式石室なのですが、北側に入り口が配置されています。 ここからは、金銀装単鳳環頭大刀と銀象嵌円頭大刀の 2本の装飾太刀が見つかっています。
伊勢塚古墳まで行く予定ですが、そこまで歩くと戻ってくるのに時間がかかるので、一度、藤岡歴史館に戻ってバイクで七輿山古墳の駐車場に移動する事にしました。
七輿山古墳
七輿山古墳は、長さ 150m、前方部幅 106m、後円部径 87m、高さ 16m もある大きな前方後円墳です。 規模的には白石稲荷山古墳と同じくらいなのですが、こちらの方が保存状態が良い為か大きく感じます。 造られたのは 6世紀前半で、6世紀に作られた東日本の古墳としては最大級になります。 写真を撮っているのは古墳周辺の堀だった場所で、古墳周辺も当時の雰囲気が良く残っています。
七輿山古墳の中に入ると石仏群がありましたが、全て破壊されていて、頭がある石仏は一つもありませんでした。
特に説明が無いので推測ですが、明治時代の廃仏毀釈の時に意図的に壊されたのかも知れません。 長い年月をかけて神仏習合で神道と仏教が融合していたのを、明治の神仏分離令で分ける事になり、それが暴力的な廃仏毀釈となって寺や仏像の破壊へと繋がります。
正直、それまで大切に崇めていた物を破壊する行為が理解できませんね...。
前方部分に行く途中に咲いていた早咲の桜。
七輿山古墳の周辺には桜が植えられていますが、ここだけ満開状態でした。
多分、これだけ種類が違うのでしょう...。 凄く綺麗です。
周辺の内堀の様子が良く分かります。 かなり幅が広い堀です。
周囲の発掘調査では、内堀、中堤、外堀、外堤、葺石、埴輪列が確認されたとの事なので、奥の方に外堀があったのかも知れません。
前方部分から後円墳の方に向かいます。
古墳の形が良く分かります。
後円墳にも石仏がありますが、こちらも破壊されています。
石仏は修復しないのかな..。
それとも、当時の愚行を後世に残す為、わざとそのままにしているのかな?
七輿山古墳の近くにある宗永寺には石棺が置かれています。
凝灰岩で出来た石棺で、長さ 2.35m、幅 86 ~ 81㎝、高さ 60㎝ の大きさです。
この石棺は宗永寺の近くの天神山古墳にあった物のようで、6世紀前半頃に作られた石棺のようです。 天神山古墳自体は消失してますが、石棺だけが宗永寺の境内に残されています。 多分、年代的、場所的に考えて、天神山古墳は七輿山古墳の陪塚だったと思います。
伊勢塚古墳
白石古墳群の中で一番北側にある古墳です。 伊勢塚古墳には駐車場が無いので、少し距離はありますが七輿山古墳の駐車場から歩いた方が無難です。
6世紀末に造られた円墳で直径 27m あります。
伊勢塚古墳の良い所は石室が開放されている所です。
ただ、中は暗いので懐中電灯のような物があると良いかも知れません。
中は大小、河原の石を組み合わせた「模様積」と言う手法で石が積まれています。
ただ、中はかなり暗いので灯りが無いと分からないかも知れません。
あと、虫がいそうで...。
藤岡歴史館周辺の白石古墳群を見て周りましたが、他にも古墳跡が残っているようです。
ただ、住宅地の中なので、住人に迷惑がかからないように注意して見学する必要があります。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2025/03/20/9776118/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。