北海道 根室半島チャシ跡群2024年07月14日

今回の旅は日本 100名城最後の1ヶ所、根室半島チャシ跡群を見学するのが目的です。
本来は新潟か大洗からフェリーに乗りたかったのですが予約が取れず、青森から函館行のフェリーに乗る事になりました。 また、一日で根室まで行くのが難しそうなので釧路で1泊して翌日に釧路と根室を往復するスケジュールです。
本当は、網走の方まで行きたかったのですが日程的に困難だったので、とにかく根室半島チャシ跡群のスタンプを押す事を優先した旅になりました。

13日 青森フェリーターミナル
夜までに釧路に着くにはできるだけ早く北海道に上陸する必要があります。
今回は青森を 6:25 に出発する便に乗るので、ホテルでの朝食を諦めてコンビニでおにぎりを買って乗船する事にしました。
早めにフェリーターミナルに到着すると、ちょうど日の出が見れました。
津軽海峡フェリー 青森フェリーターミナル

津軽海峡フェリー
時間も早いので、バイクは 10 数台程度でした。
一応、予約しておきましたが、予約なしでも乗れたかも知れません。
津軽海峡フェリー

津軽海峡フェリー

海も穏やかで良かったです。
津軽海峡

函館港に着いたら、根室まで高速道路をひたすら走ります。
事前に調査しなかったので危なかったのですが、由仁パーキングが給油できる最後の場所で、その後、終点の釧路別保までガソリンスタンドがありません。 また、一般道に出た後も釧路の市街地に入るまでガソリンスタンドが無く、ガス欠しないか不安を抱えての走行になりました。 今は燃費の良い XSR 700 なのでガ大丈夫でしたが、GSX-R 750 だったら危なかったかも知れませんね...。 後日調べた所、十勝清水IC で一度高速を出て給油しろとの頃らしい...。
有珠山SA

14日 釧路出発。
釧路から根室までは国道 44号をひたすら走ります。
北海道らしい道路で快適でした。

風蓮湖
絶景です。 風蓮湖は海と繋がっている大きな汽水湖です。
多くの野鳥が観察できるようですが、到着した時に野鳥はいませんでした。
風蓮湖

温根沼大橋
大きな橋を渡った所に駐車場があったので少し休憩しました。
目の前に広がっているのは根室湾で、左に見える橋が温根沼大橋です。
橋の奥が温根沼で、温根沼も海と繋がっています。
この辺りが根室半島の付け根になります。 根室半島チャシ跡群はもう少し先です。
温根沼大橋

ノツカマフ チャシ跡
途中、道路を横断する鹿の群れに出会いましたが、なんとかノツカマフ チャシ跡に到着しました。 北海道には 500ヶ所以上のチャシ跡が見つかっており、その内の 32ヶ所が根室にあります。 ただ、現在、根室で見学可能なチャシ跡は、ノツカマフとヲンネモトの2ヶ所だけです。
駐車場の広さは車数台が停められる程度なので、場合によっては満車になるかも知れません。 しかし、ここは公共交通機関で来れる場所なのでしょうか...。
今年の根室は頻繁に熊のも目撃情報が報告されているので、熊鈴を付けて手短に見学する事にします。
ノツカマフ チャシ跡・駐車場

駐車場からノツカマフ チャシ跡に行くには、この林の中を通る必要があります。
熊鈴を付けているとは言え、これだけ熊目撃情報が多い中、ここを通るのは怖かったです。
ノツカマフ チャシ跡へ

林を抜けると開けた場所に出ました。
周辺の雑草もそれほど背丈が高く無くて良かったです。
これかで見通しが良ければ、熊がいてもお互いに気が付くでしょう...。
ノツカマフ チャシ跡へ

竪穴住居跡
ノツカマフ チャシ群の手前に、竪穴住居跡がありました。
特に説明が無かったので、いつ頃の物なのか不明です。
チャシ群と、何か関係があるのでしょうか? もう少し説明が欲しいですね...。
ノツカマフ・竪穴住居跡

ノツカマフ 2号チャシ
チャシ周辺は壕で囲まれているようです。
ただ、熊を心配し過ぎたせいなのか、周りの雑草のせいなのか、壕の存在には気が付きませんでした...。 壕は、幅約 3m、深さ0.5m ほどなので、壕が浅いので周りの雑草で見えなかったのかも知れません。 チャシ内部の草が低く刈られているので、周辺が壕と言うより土塁に見えます...。
 「チャシ」はアイヌ語で「囲い」の意味らしいです。 諸説あるようですが、元々は砦では無く、儀式の場だったとの説もあるようです。
それほど広いとは感じませんが、確かに人の存在を感じます。 ただ、壕の浅さから、未完成だった可能性もあるようです。
ノツカマフ 2号チャシ

ノツカマフ 2号チャシ

オホーツク海側は断崖なので攻め入るのは困難でしょう。
ただ、陸地は平坦なので攻めやすく、追い詰められると逃げ場が無いので立地場所としては微妙ですね..。
しかし、何気に始めた 100名城巡りですが、昨年は沖縄、今年はオホーツク海まで移動するとは...。 なんとか周れちゃうもんですね..。
ノツカマフ 2号チャシからの眺め

ノツカマフ 1号チャシ
1号チャシの方は、城で言う曲輪のような場所が2つ連結した感じの構造です。
周辺の壕も、幅約 5m 深さ約 3m もある大規模な物で、壕の内側には土塁もありました。
2号チャシと比べると明らかに完成度が違います。
根室半島のチャシ群が作られた正確な年代は不明ですが、16 ~ 18世紀頃と考えられています。 1754年に松前藩の役人や和人が住むようになります。 1789年、和人による過酷な労働や暴力に耐え兼ねたアイヌ民族が決起し、「クナシリ・メナシの戦い」がおきました。
反乱は鎮圧され、首謀したアイヌ人 37人がここで処刑されました。 この反乱により、和人も 71人が殺害されています。 結構、重い歴史がある場所です。
ノツカマフ 1号チャシ

ノツカマフ 1号チャシ

壕を挟んで隣の曲輪(?)が見えます。
曲輪(?)の周辺も少し盛り上がっているので、多分、土塁の跡でしょう。
隣の曲輪(?)へも行ってみましたが、それほど広いと言う印象はありませんでした。
ノツカマフ 1号チャシ

ノツカマフ 1号チャシ

少し気になったのが、岸壁の崩落具合です。
かなり寝食が進んでおり、いずれ、この史跡は消えてしまう運命なのかも知れません。
それまでに調査が進むと良いですね..。
ノツカマフ 1号チャシ

ヲンネモト チャシ駐車場
続いて訪れたのがヲンネモト チャシです。
ここも見学用の駐車場が整備されており、4~5台は駐車可能です。 また、少し離れた場所には大型バス用の駐車場もあります。
根室のチャシのほとんどは、オホーツク海を望む海岸沿いにあります。 立地場所としては、先ほど見学したノツカマフと同じような感じです。
ヲンネモト チャシ駐車場

こちらは駐車場からチャシまでの遊歩道も見渡しが良いので、熊がいても分かりそうなので安心感があります。
本州側ではあまり見た事が無い、北海道らしい風景です。
ヲンネモト チャシ跡へ

ヲンネモト チャシ跡
こちらも 1789年の「クナシリ・メナシの戦い」との関連性が高いチャシのようです。
ちなみに、「メナシ」とは、現在の根室管内付近の地名のようです。
戦いが起こった頃は和人への不満が高まっていたので、いつ反乱があっても不思議では無い状態でした。 そんな中、和人の支配人から貰った酒や食べ物で死者が出てしまい、毒殺したとのウワサが広まったのが反乱のきっかけでした。
和人の支配人は利権を取り上げられますが、管理責任があった松前藩は幕府に小さな事件として報告した為、お咎め無しだったようです。
ヲンネモト チャシ跡

ヲンネモト チャシ跡

ヲンネモト チャシ跡

先端部分に行くと下段部分が見えます。
ヲンネモトのチャシは、城で言う「曲輪」が上下2段構造になっているようです。
現在いる曲輪(?)の 1/3 程度の広さで、形状も三角形をしています。 こちらも海からの攻撃は難しそうですが、陸地側は視界を遮る物が無いので防御には向かない気がします。
ヲンネモト チャシ跡

下段の曲輪(?)からオホーツク海を眺めた所。
7月ですが、夏用のウェアではバイクで走ってる時は寒かったです。
やはり、北海道は違いますね..。
ヲンネモト チャシ跡からの眺め

さて、日本100名城最後のスタンプを押しに、根室市北方領土資料館に行きましょう。