岩手県 御所野遺跡/御所野縄文博物館 ― 2023年08月10日
九戸城の見学の後、ホテルに戻る途中に寄り道出来そうな場所を調べていると、近くに御所野遺跡がある事に気が付きました。
行ってから知ったのですが、御所野遺跡は世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つでした。 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産には4年前に訪問した青森県の三内丸山遺跡も含まれてますが、訪問時はまだ世界遺産登録されてませんでした。
途中、道を間違えて無駄に時間がかかりましたが、なんとか到着。
駐車場は十分な広さです。 世界遺産ですが、それほど混雑はしてなさそうです。
三内丸山遺跡と比べると、知名度も低いのかも知れません。
駐車場から博物館、縄文公園にはこの斬新なデザインの橋を渡って行きます。
御所野遺跡は縄文時代中期(紀元前 5,000 ~ 4,200年)の頃の集落跡です。 約 800年近くの長い間、近くの馬淵川を周辺に狩猟や採集を行って生活していたようです。
紀元前 4,200年頃になると、人々は御所野へと拡散して行ったようで、御所野遺跡があった場所は祭場的な存在に変わって行ったようです。
御所野縄文博物館
御所野遺跡の生活を再現したコーナーや、出土品などが展示されていました。
また、土器作りや縄文編みなどの体験学習なども出来るようです。
床をガラス張りにして、4,200年前の焼失建物跡が提示されており、焼失実験の情報展示など、発掘調査や実験結果を積極的に展示している印象を受けました。
写真は、当時の復元建物とプロジェクションマッピングで、縄文人の四季の生活を展示しいるコーナーです。
印象的だったのが蒔前遺跡で出土した「鼻曲りの土面」で、東北北部の太平洋側で出土するらしいです。 鼻は左側に曲がっているのが一般的らしいですが、右曲がりもあるそうです。
儀式にでも使われていたのでしょうか? 当時は赤く塗られていたようです。
この土面を見ていると、JOJOの石仮面を思い出しますね...。
御所野縄文公園
博物館を見学した後は御所野縄文公園へ。
ここに、紀元前 5,000 頃から人々が生活していた訳ですね...。
どんな生活を送っていたのでしょうか...。 最近の研究では縄文人の生活か結構、豊だったのではとも言われてます。 時間に追われてストレスだらけの現代人よりも、暮らしは良かったのかも知れません。
東ムラ
200 棟以上の竪穴住居跡が見つかっている場所です。
住居跡は、大きい物で 10m、小さい物で 3m 程度の大きさです。 重複して見つかっているとの事なので、何世代にも渡ってこの辺りで生活していたのかも知れません。
復元された竪穴住居を見ると、木の皮で作ったような物と、土を盛ったような建物があります。
東北の冬は、かなり寒いので木の皮で作った建物の方はちょっと心もとない感じがします。
こちらは、復元された高床建物。
この床の隙間では寒くて寝られないので、居住用では無く、食べ物などの貯蔵用でしょう。
風通しが良い方が貯蔵には良いのかも知れません。
床が高いのは、ネズミなどの動物対策でしょうか?
中央ムラ
しばらく歩くと中央ムラの復元建物が見えてきました。
ここは東西 80m、南北 50m の造成された広場を囲むように竪穴住居が配置されているようです。 近くには配石遺構と呼ばれる石を並べたような遺構が見つかっており、周辺からは墓穴も見つかっているようです。 何か、儀式的な事でも行われていたのでしょうか?
掘立柱建物
中央ムラ付近には、大きな掘立柱建物が集中してました。
あちらこちらにある、一列に並ぶ大きな柱も気になりました。 何の跡なのだろう...。
でも、この辺りが御所野遺跡の中心的な場所なのかも知れません。
西ムラ
御所野遺跡の一番奥にあるのが西ムラです。
この辺りからは多くの焼失住居が見つかっているようです。
現在は4棟の焼失住居が復元されています。
年代の違いでしょうか? この辺りの竪穴住居は入母屋屋根のような形状の物があり、他と少し形が違うようです。
火災実験跡
博物館に展示されていた火災実験跡です。
復元した竪穴住居を実際に燃す実験を行い、実験後もそのままの状態で保存しています。
当時も意図的に燃やしたのだと思いますが、何で火を付けたのですかね...。
建物の部材は、当時でも大切な資源だったと思いますし...。
歴史的に貴重な場所なのですが、あまり知られておらず、もう少し地元でアピールしても良さそうに思いました。 危うく素通りする所でした。
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