長野県 諏訪大社 上社本宮~法華寺2020年10月25日

諏訪大社は、上諏訪神社、下諏訪神社と言う別々の神社でしたが、明治の頃に国策で一つの神社に変更しました。 上社、下社はその名残で、格式に差が無いのもその為のようです。
格式に違いはありませんが、上社本宮が一番観光地として発展しているように思います。
ここは、大きな駐車場があり、バイクを止める場所にも困りませんでした。
参道にも多くの売店があるので、お土産はここで買って帰りました。 紅葉も良い感じです。
諏訪大社・上社本宮・参道

この鳥居の先が本宮の境内になります。
諏訪大社・上社本宮・鳥居

祈祷殿
本来は鳥居をくぐると左側に進み、布橋を通って参拝するのですが、布橋が修復工事の為に通行出来ない為、祈祷殿横の階段を直進して参拝する順路に変更されていました。
上社本宮は横に長いので、これだと即、参拝完了になります。
諏訪大社・上社本宮・祈祷殿

参拝所
上社本宮の参拝は、幣拝殿の前では無く、この参拝所から行います。 なので、幣拝殿の様子は良く分かりませんでした。
諏訪神社の歴史的な経緯が良く分からないのですが、武田氏が滅亡した後、織田信忠により焼き討ちに合い消失しているようです。 武田氏が崇拝していた神社なので気に食わなかったのでしょう。
そこから良くここまで再興した物だと思います。
諏訪大社・上社本宮・参拝所入り口

諏訪大社・上社本宮・参拝所

勅願殿
本来は天皇の祈祷を「勅願」と言うらしいですが、ここでの勅願殿は祈祷を行う場所のようです。
幣拝殿は恒例祭典や重要神事を行う場所で、個人の祈祷は勅願殿で行っているようです。
でも、参拝所に入る手前に「参拝殿」があったのですが、そことの役割分担が良く分かりません。
建物は 1690年に建てられたようで、外観からも歴史を感じさせます。
諏訪大社・上社本宮・勅願殿

神楽殿
布橋は改修工事中で通行不可ですが、一応、そちらの方も散策してみます。
大きな太鼓が設置されているのが神楽殿です。 1827年に建立さ、太鼓も同じ年に奉納されました。
太鼓の皮は1枚の牛皮で、日本1と伝わります。 元旦の朝には使われているようです。
神楽殿も太鼓も多く立派な物でした。
諏訪大社・上社本宮・神楽殿

天流水舎
どんな晴天でも雫が3滴、屋根から落ちてくると伝わる水舎です。
また、この水を雨乞いに使用すると必ず雨が降るとの言い伝えがあります。
昔の手水舎でしょうか?
諏訪大社・上社本宮・天流水舎

勅使殿
1690年に建立された建物のようですが、勅使殿はもっと前から存在していたようです。
昔は今の神楽殿の前にあったようで、拝殿の役割だったようです。
勅使殿と言うには少し質素な印象を受けます。 現在、使われている印象はありません。
向かって右側の簾のような物で囲まれている場所が、1773年に建立された五間廊です。
諏訪大社・上社本宮・勅使殿

神馬舎
1894年の暴風雨で倒壊しているようなので、その後に再建された建物だと思います。
明治以降、中には銅製と木製の神馬が安置されています。
建物が倒壊した時、神馬は吹き飛ばされていた為、被害を逃れてたようです。
諏訪大社・上社本宮・神馬舎

工事中の御門。
本来はここから布橋を通って参拝します。
前回の訪問時はここから入って参拝した記憶があります。
諏訪大社・上社本宮・工事中の御門

二之御柱
工事中の御門の横に、二之御柱がありました。
塀重門の近くに一之御柱があった事は参拝時に気が付いたのですが、御柱が1本しか見当たらず、不思議に思ってましたが、2本目はこんなに離れた場所にありました。
気にしなければ素通りしたかも知れません。
諏訪大社・上社本宮・二之御柱

上社本宮のすぐ隣には法華寺があるので合わせて参拝する事にします。

蠶玉神社
法華寺の入り口横にあります。 諏訪大社から少し離れた所に、「蠶玉社」があるので、それに関連する神社だと思います。 「蠶玉社」は蚕を祀る神社のようです。
法華寺・蠶玉神社

法華寺
昔は神宮寺と言う大きな寺院だったよですが、明治の廃仏毀釈によって廃寺になったようです。
法華寺は、その後に再興されたお寺のようです。 なので、見た目は最近のお寺です。
織田軍による甲州征伐で武田氏が滅亡した後、明智光秀の些細な一言で信長が「お前一人の功績か」と激怒した場所がこのお寺のようです。 ひょっとしたら、本能寺の変はここから始まっていたのかも知れません。 小さなお寺ですが、歴史的に有名な事件が発生した場所です。
法華寺・山門

法華寺・本堂

吉良義周の墓
本堂の裏には、赤穂浪士の討入りで討たれた吉良上野介の養子、吉良義周のお墓もあります。
義周は上野介の孫でしたが、跡取りになる為に上野介の養子に入り息子になりますが、事件はそのすぐ後に起こります
義周自身も、討入りの際に怪我を負っています。 義周から見れば被害者なのですが、不届きとの理由で諏訪に送られ、3年後の21歳で病死します。
赤穂浪士の討入りとも関係がある場所とは知りませんでした...。
法華寺・吉良義周の墓

改修工事は残念でしたが、法華寺で有名な出来事が発生していた事を知れたのは良かったです。
何気ない散策が、思わぬ事を知るきっかけになりました。