新潟県 村上城跡2023年07月16日

村上城は新潟県村上市にある平山城で続100名城の一つです。
16世紀初頭に本庄氏が本庄城を築城したのが村上城の始まりと考えられています。
本庄氏とは、地頭だった坂東八平氏(千葉氏、上総氏、三浦氏、土肥氏、秩父氏、大庭氏、梶原氏、長尾氏)の一つ、秩父氏を祖とする家系です。 本庄氏は戦国期に勢力を拡大しますが、1590年に豊臣秀吉によって改易になります。 本庄氏は後に上杉氏に帰参します。
1598年に上杉景勝が会津に移封になると村上氏が入城します。 しかし、1618年に村上氏はお家騒動にて除封となり、堀氏が入城します。 その頃から中世の城から石垣を持つ近世の城へと変貌します。 その後も城主は頻繁に入れ替わり、幕末は内藤氏が所領していました。

村上城跡駐車場
村上城の麓にある駐車場に到着。 続100名城のスタンプは少し離れた場所なので、散策後に押しに行く事にします。
駐車場はそれなりの広さがありますが、登山客が多く、駐車の空スペースが少なかったです。
昨日まではこの辺りも大雨だったと思いますが、今日は雨も上がっていたので助かりました。
村上城跡駐車場

一文字門跡
現在の村上城の登山口には、昔は一文字門がありました。
ここは 1620年頃には堀直寄によって、石垣造りの枡形虎口に改修されていました。
案内には深い堀や跳ね橋の存在、隅櫓の事などが記載されており、厳重に防御されていたようです。 まったく原型を留めて無いので、今では想像が難しいです。
なお、左側は公園になっており、その辺りが城主の居館だったようです。
村上城・一文字門跡

村上城・七曲道
一文字門の先はクネクネと折り返した「七曲道」と呼ばれる大手道。
この坂道を登りきると二之丸と三之丸の中間地点に出ます。
村上城・七曲道

七曲道を登りきると二之丸の石垣が見えてきました。
石垣にシートが被せられてました。
計画通りの修復かも知れませんが、ここ数年に多発するゲリラ豪雨のような大雨が石垣の状態に影響しているのかも知れません。
村上城

四ツ門跡
村上城は、本丸から三之丸までが直線に並ぶ連郭式の城郭です。
この門をくぐって左に行けば三之丸、右に行けば二之丸と言った場所です。
どんな門だったのかは情報が無くてわかりませんが、櫓門だったとすれば石垣が低すぎる印象を受けますね...。 石垣の無い櫓門もあるので、何とも言えませんが...。
村上城・四ツ門跡

村上城・四ツ門跡

調練場跡(三之丸)
三之丸とも、調練場とも説明されている場所です。
かなり広い場所で、「調練場」と呼ばれている位の場所なので、大きな建物とかは無かったのかも知れません。
幕末期の村上城は、強硬派と帰順派で内部対立が発生していたようです。 強硬派は籠城戦を諦め城を出ますが、その時に火災が発生して多くの建物が消失したようです。 その為、幕末期まで存続していた城の割には、思ったほど情報が残って無いのかも知れません。
村上城・調練場跡

玉櫓跡
三之丸に2つあった櫓の一つです。
特に櫓台のような物がある訳では無いので、案内が無ければここに櫓があった事を把握する事は難しいかも知れません。
ただ、近くに行くと周辺が石垣になっており、石垣の角のような部分も見れます。
村上城・玉櫓跡

村上城・玉櫓跡

靭櫓跡
三之丸に2つあった櫓の一つです。 武器庫として使われていたと伝わります。
こちらも櫓台のような物の存在感はありません。
ただ、端の方に近づくと石垣の存在が把握できます。 郭周辺の石垣は、内側から見た場合、一段高くなっている事が多いのですが、村上城に関しては土塁の存在すら感じません。
郭の周辺は土塀で囲まれていたのだと思いますが、周辺が真っ平なのも少し珍しいかも知れません。
村上城・靭櫓跡

村上城・靭櫓跡

御鐘門跡
二之丸の入り口となる門です。
門の周辺が石垣に囲まれている桝形になっています。
立派な石垣で、石垣の規模から櫓門だったと思います。
村上城の建物は、火災で焼けたか破却されているので何も残っていません。 でも、保存活動のおかげか、石垣は綺麗な状態でした。
村上城・御鐘門跡

村上城・御鐘門跡

村上城・御鐘門跡

二之丸
御鐘門の先が二之丸です。
二之丸は細長い形状をしています。 建物とかはあったのでしょうか?
村上城・二之丸

出櫓跡
手前の低い方の石垣が出櫓があった場所で、奥の一段高いのが本丸の石垣です。
出櫓の詳細は不明ですが、古い絵図などから2層櫓と考えられているようです。
出櫓の石垣は崩落と修復が繰り返されており、1971年の大雨の時も崩落しています。 出櫓の石垣は崩落リスクが高いとして、近年に修復工事が行われており、2015年に修復工事が完了しました。
村上城・出櫓跡

出櫓の石垣横を進みます。
ここは上から攻撃されたら逃げ場が無く、かなり危険な場所だったと思います。
また、この少し先には黒門があったようで、ここで足止めする構造になっています。
村上城・出櫓付近

本丸の石垣です。
本丸の虎口に行くには、本丸の石垣に沿って歩かされる構造になっています。 そこを上から攻撃する仕組みです。
戦国期の村上城には石垣は無く、本丸の位置はその頃から変わっていないようです。
この下の斜面には腰郭が何段も作られています。 村上城は戦国期に3度も攻められており、上杉謙信に攻められた時にも落城しませんでした。 山の側面を通る、中世の遺構を見学するコースがありますが、ルートがあまり良い状態では無いとの情報があったので、今回は通りませんでした。
村上城・本丸の石垣

本丸虎口
本丸虎口には冠木門があり、出入り口付近には大きな鏡石が置かれています。
ここが最後の門なのに、防御力がそれほど高くない冠木門なのが以外でした。 石垣も立派ですし、櫓門の方が自然に思えました。
この先が本丸になります。
村上城・本丸虎口

村上城・冠木門跡

村上城・本丸虎口の鏡石

藤基神社
本丸に鳥居と藤基神社の碑がありました。
1720年に間部詮房が転封になると、村上藩は内藤弌信が統治する事になります。
藤基神社は内藤家が家の不幸を除ける為に霊廟を創建したのが始まりの神社です。
村上城・藤基神社

天守跡
村上城には三層の天守が存在し、何度か改修されていました。
しかし、1667年の落雷で焼失すると再建される事はありませんでした。
石垣や礎石跡の一部には焼跡が残っていたようです。
村上城・天守跡

村上城・天守跡

天候が回復してきて良かった。
さて、続100名城のスタンプを押しに行きましょうか...。
村上城・本丸からの眺め