岡山県 鬼ノ城 ― 2022年05月04日
鬼ノ城の正確な築城年代は不明ですが、7世紀後半と考えられている山城です。 山全体が要塞化されている感じで、どこか大野城に似ている感じがします。 (もっとも、大野城を訪問した時は大雨と突風で、自由に散策は出来ませんでしたが..。)
日本書記に載っていない謎の古代の山城です。 山の8~9合目付近を城壁で囲み、全長 2.8km (ビジターセンターのパンフでは、鬼ノ城一周コースは 4 ~ 4.5km と記載。)もある大きな山城です。 城主など、細かい情報はほとんど判って無いようです。
鬼ノ城は、ビジターセンターに大きな駐車場があるのですが、そこまでの林道が鬼門でした。
車がすれ違うのが困難な道幅ですが、登り下りの双方から車を通行させた為に身動きが取れない状態に...。 この状態だとバイクでもどうにもなりません。
車の為に少しでも道幅を確保しようと端に寄ったのが大失敗。 落ち葉でスリップしてしまい、ブレーキを踏んでもズルズルと下がってしまう恐怖を味わいました...。
鬼城山ビジターセンター駐車場
非常に大きな駐車場ですが、この規模に合わない林道はだいぶ問題がありますね...。
帰る頃は警備員の誘導で交互に片道通行にしてましたが、最初からちゃんと誘導して欲しかったです。 100名城のスタンプを鬼城山ビジターセンターで押して散策を開始します。
ビジターセンターから西門を目指します。
大きな岩がゴロゴロしていて、どことなく弥山の山頂付近に似ている感じもします。
予想以上に家族連れの観光客が多く、地域で広く知られているハイキングコースなのかも知れません。 100名城の山城は、人間がまったくいない場合も多いので、ちょっと安心感があります。
遊歩道の途中にあった学習広場から、角楼と西門が見えます。
情報に乏しい鬼ノ城ですが、吉備津彦命が吉備を平定する際、鬼ノ城の温羅(うら)を討ったとの伝承があります。 討伐の時、犬飼健命、楽々森彦命、留玉臣命の3人の家臣を連れていたとの逸話が「桃太郎」のルーツになったとも言われてます。
リアル桃太郎が討伐の時に眺めた風景と同じものを眺めてるのかも知れません。
学習広場からさらに進むと角楼が見えてきました。
入り口の西門はもうすぐです。
今回は鬼ノ城を一周する予定なので、角楼は最後に見学する事にします。
西門
鬼ノ城と言えば西門です。 テレビでも何度か見かけた門です。
当然、古代の城門なので現存していたはずは無く、復元された建物です。 しかし、柱跡などの保存状態は良好でした。 柱の太さや深さなどが正確に計測できた事で、城門の規模感は正確に把握できたようです。 建物自体は同年代の他の資料なども参考に再現したのでしょう。
瓦の出土は無かったようです。 砂を固めたような城壁の質感も独特です。
城壁の上を歩いて鬼ノ城を一周します。
城壁上部の外壁側は補強用と思われる敷石が敷かれてます。 雨に弱そうな砂地なので、敷石が無いと城壁が崩れてしまいそうです。 雨水を排水する為か、敷石は内側に傾斜しています。
敷石の幅はだいたい 1.5m ほどですが、広い所では 5m ほどあります。 敷石が使われている古代の山城は珍しいようです。
周辺の見渡しは良好です。
城壁は砂を突き固めた版築土塁で、下幅 7m、上幅 6m、高さ 6m もあります。
伝承で鬼ノ城に住んでいたとされる「温羅(うら)」の元となった人物が気になります。 桃太郎伝説に照らし合わせると温羅は「鬼」として扱われており、これだけの土木技術を持っていた事を考えると温羅は高い技術を持った渡来人だったのかも知れません。
綺麗な敷石は、多分、復元された物だと思いますが、築城当時の敷石も残されています。
南門跡
西門からだいたい、600m 程度歩いた場所です。
間口は 12.3m、奥行は 8.2m あります。 規模的には西門と同じで、どちらが正門なのかはっきりしないようです。 建物が復元されてないと、なんだか小さく見えます。
石仏
南門跡からしばらく進むと石仏がありました。
鬼ノ城一帯は、平安時代に山上仏教が栄えた場所らしく、石仏はその名残でしょうか?
第4水門跡
鬼ノ城の南側には第0~5までの6カ所に水門があります。
城壁の中は広大で、沢山の池があります。 それらの水を外部に排水する役割なのだと思います。
看板には長さ 11.7m、高さ 4m と記載されてましたが、全体的に水門は良く分からなかったです。
(城壁の下かな?)
東門跡
間口は 3.3m、奥行は 5.6m なので、西門、南門と比べるとだいぶ小ぶりです。
復元された西門では気が付きませんでしがたが、鬼ノ城の城門は「懸門」と呼ばれる構造になっており、門の外側は 2m ほどの段差があります。 当然、そのままでは入れないので、入る時に梯子をかけていたようです。
西門、南門は角柱でしたが東門は丸柱だったりと、他とは違う特徴があるようです。
鍛冶工房跡
東門の近くにあった鍛冶工房の跡です。 ここで、築城に使用した鉄製品の製造・修理を行っていました。 この辺りから9基の鍛冶炉の他、羽口(風を送る装置の先端に付けた物)、鉄滓(鉄を加工した時に出る不純物)、砥石なども出土しています。
案内が無ければ、その痕跡は見て取れません。 発掘した遺構は埋没保存かな?
屏風折れの石垣
ようやく半分くらいきました。 疲れてたので、崖の方まで行かなかったので気付かなかったのですが、ここが「屏風折れの石垣」と呼ばれる石垣だったようです。
完全に見逃しました。 古代の石垣を見逃すとは...。
西門付近は人が多かったですが、ここまで来る人は少ないようで静かな場所でした。
温羅奮跡碑
北門に向かって進むと、温羅の石碑がありました。
吉備津神社の鳴釜神事は、吉備津彦命に討伐された温羅の首が関わっています。 討ち取られた温羅の首は死して唸り声を上げ、犬に食わせて骨だけになっても唸り声は止まりませんでした。
ある日、夢に現れた温羅の言う通りに儀式を行った所、唸り声が止まりました。 その儀式が鳴釜神事だそうです。
北門跡
鬼ノ城の城門で北側にあるのはここだけです。
西門、南門と比べると小さ目の門です。 本柱のみ角柱で他は丸柱と言う変則的な構造ですが、懸門構造である事は変わりません。 通路床面下には排水溝も見つかってるそうです。
角楼
北門跡からさらに 600m ほど歩くとようやく最初に見えた角楼に着きました。
鬼ノ城の中心部分には礎石建物群がありますが、そこに寄り道する余力が無かったです...。
城壁の一部が長方形に張り出しており、死角を減らす役割があります。
角楼に、建物があったのかは判って無いようです。
古代の山城はとにかく巨大なので、じっくり見て回る場合は時間がかかります。
とにかく疲れました...。
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