埼玉県 所沢航空発祥記念館(2)2024年01月07日


富士 T-1B-10
1954年に航空自衛隊が発足され、練習機として先ほどの T-6 や T-34 などが運用されてました。但し、ジェット戦闘機の時代としては時代遅れになってしまい、練習機の変更が必要になってきました。 そのような中で富士重工の案が採用され T1F1 の開発は始まります。
オーフュースMk.805エンジンを搭載した試作機を T1F2 とし、1958年に初飛行に成功します。
その後、国産エンジンの J3-IHI-3 を搭載したのが展示されている T-1B です。
T-1B は、2006年までパイロットの育成に使用され続けました。
所沢航空発祥記念館・富士 T-1B-10

所沢航空発祥記念館・富士 T-1B-10

T-1B に搭載された J3-IHI-7B 国産エンジン
J3-IHI-3 の推力を向上させたのが J3-IHI-7B のようです。
その後、J3-IHI-7C、J3-IHI-7D  の改修され、P-2J 対潜哨戒機の補助エンジンとしても使用されます。
所沢航空発祥記念館・J3-IHI-7Bエンジン

ロールス・ロイス RB.53ダートMk.543-10
YS-11 用に開発されたターボ・プロップ・エンジンです。 YS-11 は公園の入り口付近に展示されてましたが、見学しないで帰ってしまいました..。 でも、千葉県の航空科学博物館で見た事あるから良いか...。
ターボ・プロップ・エンジンは、原理的にはターボ・ジェット・エンジンと同じですが、燃焼で得られるエネルギーをプロペラの駆動に使う点が異なります。
所沢航空発祥記念館・ロールス・ロイス RB.53ダートMk.543-10

九一式戦闘機
第2次世界大戦中に宮城県の方らが購入した機体らしく、垂直尾翼の番号などから 1933年に製造された事が判明しています。 しかし、軍用機を一般人が購入出来たのでしょうか...。
手を加えずに屋内で保管されていた事もあり、保存状態は良好なようです。
九一式戦闘機は中島飛行機が製造し、1931年から陸軍で採用された戦闘機です。 九一式戦闘機は一型と二型があり、この機体は二型です。
二型は中島飛行機が設計した国産エンジンで、20機程度しか生産されてません。
現存する唯一の九一式戦闘機です。
所沢航空発祥記念館・九一式戦闘機

所沢航空発祥記念館・九一式戦闘機

ニューポール 81E2
民間飛行家の岩田正夫が 1926年に郷土訪問飛行を行った時の機体の一部とレプリカが展示されていました。 岩田正夫が郷土訪問した時に河原で公開飛行を行った時、見物人が河原の中に入って来た為、着陸時に機体の一部を損傷します。 損傷した機体はそのまま村に寄贈されました。
ニューポール 81E2 は、1918年に陸軍がフランスから輸入した練習機で、その後、三菱が国産化します。 岩田正夫は、どうやって機体を入手したのですかね...。
所沢航空発祥記念館・ニューポール 81E2

所沢航空発祥記念館・ニューポール 81E2

天井からも展示物が吊るされているので、2階からそれらの航空機も見学してみます。
しかし、どうやって機体を建物内に入れたのだろう...。
壁のどこかが開くのかな...。
所沢航空発祥記念館

所沢航空発祥記念館

スチンソン L-5
保安隊(自衛隊の前身)で使用されていた連絡機です。
1953年にアメリカから保安隊に対して 35機が供与され、1956年まで運用されました。
運用期間が短いので中古機でしょうか..。 それでも戦後の日本には貴重な機体だったと思います。
1941年に設計され、第二次世界大戦末までに 3千機以上が製造されました。
狭い滑走路で離着陸出来た事から前線の偵察目的で使用され、負傷者の搬送にも使用されていたようです。
所沢航空発祥記念館・スチンソン L-5

ヒューズOH-6J
1960年に米陸軍が最初に行った LOH(軽観測ヘリコプター)の審査をパスしたヘリコプターで、1965年から量産されました。
展示されているヒューズOH-6J は、川崎重工がライセンス生産した機体です。
川崎重工は、1968年からライセンス生産を開始し、170機が自衛隊や民間で使用されました。
乗員は1名で、3~5名の乗客が搭乗可能です。
所沢航空発祥記念館・ヒューズOH-6J

アリソン CT63-M-5A
先ほどの OH-6J に搭載されていたエンジンです。
型式名の「M」は、三菱重工がライセンス生産した事を示します。
離陸出力は 317軸馬力です。
所沢航空発祥記念館・アリソン CT63-M-5A

川崎 KAL-2
KAL-2 は川崎航空機工業の岐阜工場で製造され、1954年に初飛行に成功します。
川崎航空機工業は戦前からある航空機メーカーですが、戦後、日本は航空機の研究、設計、製造が禁止されます。  1952年に制限の一部が解除されると、川崎航空機工業も製造を再開します。
防衛庁の連絡機採用の為に製造された機体ですが、選定に敗れた為に量産はされませんでした。 しかし、戦後の日本の航空機産業が再開された頃の貴重な機体です。
所沢航空発祥記念館・川崎 KAL-2

パイパー L-21
1930年から製造されていた軽飛行機「スーパーカブ」を軍用化して製造された連絡機です。
初飛行は 1951年になります。
1953年に日本に保安隊航空(航空自衛隊の前身)が創設されるとアメリカから 62機が供与されました。 主に、パイロット育成の練習機として使用されていたようです。
所沢航空発祥記念館・パイパー L-21

HU-1B (ベル 204B)
手前のヘリコプターが HU-1B で、奥に見える黄色い機体がビーチクラフト T-34 メンターです。 HU-1B はベル 204 を軍用に改良した機体で、1961年から量産されました。
1962年から陸上自衛隊でも採用され、富士重工がライセンス生産します。
「ベル 204型」のヘリコプターは大量に生産され、世界で1万機以上が活躍しています。
T-34の方は航空自衛隊の練習機で 1954年に 20機が輸入され、富士重工が 126機をライセンス生産します。 それにしても目立つ色です。 昔の自衛隊機は黄色だったのでしょうか?
所沢航空発祥記念館・HU-1B

管制室
2階には管制室が再現されてました。
展示されてる機材は、1992年まで所沢の運輸省東京航空交通管制部で使用されていた物です。 30年位前の機材なので少し古めかしい印象を受けますね...。 航空管制のレーダーパネルは、今でもこんな感じなのでしょうか?
ここでは機材の展示以外に、航空管制の仕事についても説明してます。
所沢航空発祥記念館・管制室

所沢航空発祥記念館・管制室

偶然存在を知った博物館でしたが、なかなか良い場所でした。
フライトシミュレーターや、スペースウォーカーなども楽しめます。
偶々、フライトシミュレーターが空いてたので試してみましたが、飛行機の操縦は忙しいですね...。