和歌山県 燈明崎 ― 2024年08月11日
和歌山県の燈明崎は梶取埼灯台と共に、江戸時代の捕鯨拠点があった場所です。
そこで、梶取埼灯台から見えた燈明崎も見学する事にしました。
1636年、燈明崎に新宮藩が管理する鯨油を利用した燈明灯台が設置されます。 その事からこの地は「燈明崎」と呼ばれるようになります。
金刀比羅神社
近くに駐車場があるのでバイクはそこに停めました。 そこそこの広さがあるので、停める場所には困らないと思います。
岬に向かって歩いてると金刀比羅神社があったので、ご挨拶して行く事にします。
ここの金刀比羅神社は 1798年に讃岐の金刀比羅宮から勧進したようです。 「こんぴらさん」は漁業や海上安全の神様なので、捕鯨が行われていたこの地にとっては自然な流れに感じました。
吉備真備漂着之碑
第12次遣唐使の副使だった吉備真備は、753年に帰国する際、暴風雨に遭遇します。
この時、第1船に乗船していた阿倍仲麻呂はベトナムに漂着して帰国できませんでした。
真備が乗船していた第3船は屋久島に到着した後、紀伊国牟漏崎に流れ着きます。 この「牟漏崎」は燈明崎の昔の呼び名です。
昔の海外留学は命懸けですね...。
こんな感じの遊歩道を進み、燈明台に向かいます。
古式捕鯨支度部屋跡
遊歩道沿いにあったのがこの古式捕鯨支度部屋跡です。
1675年に設置され、古式捕鯨が終わった 1905年まで存在していたようです。
山見台(捕鯨の指揮所)に勤務する人は夜明け前にここに来ていたようで、食事をしたり、寒い日は暖を取ったりしていたようです。
今は雑草が生い茂っていて、案内が無ければ建物の存在は分からない状態でした。
岬神社
雑草が多かったのでちょっと荒れてる印象を受けましたが、鳥居を見ると管理はされているようです。 情報が無く、どんな神様を祀っているのかは不明でした。
山見番所跡
ここに古式捕鯨絵図を参考に、1992年に復元された建物があったようなのですが、訪問時は土台しか無かったです...。
検索すると建物の写真が見つかるので、復元建物はたしかに存在していたはずです。 倒壊したとの情報も見当たらず、老朽化などを理由に撤去したのでしょうか?
古式捕鯨狼煙場跡
潮を吹く鯨を見つけると、ここから狼煙を上げて捕鯨船に合図を送っていたようです。
梶取崎の案内にあった狼煙場の場所と少し違うのが気になります。 近年に復元された物なのでしょうか? ただ、この付近には3カ所ほど狼煙場があったようなので、燈明崎の狼煙場は複数だったのかも知れませんが...。
燈明台
こちらが鯨油を使って昔の灯台、燈明台です。
鯨油は一晩で 3 ~ 4合(1合は約 180 cc)消費したようです。
1636年に設置され、1872年に廃止されました。 最初は行燈型だったようですが、途中から灯篭型に変わったようです。
現在の燈明台は、灯篭型の頃の姿を復元した物です。
ここも絶景なのですが、人気が無いみたいで他に人はいませんでした。
捕鯨や吉備真備など、歴史的な出来事があった場所なので、もう少し知られても良いような感じはします。 でも、人が沢山押し寄せても困るので、個人的にはこの静かな感じが良いです。
今回の紀伊半島旅はここまで。
最近のコメント